2017年05月16日

『音楽の科学研究会』へ行ってきました

今年度から、日本音楽知覚認知学会に入会してみました。この学会はホームページによると「音楽学、心理学、音響学、情報科学、音楽教育学、医学・生理学、およびそれらに接する学際領域に関わる研究者が協力し、音楽の知覚・認知に関する研究の進歩を図ることを目的とする学術団体です」ということで、音楽の知覚・認知研究に関心を持ち、学会の目的に賛同する人なら誰でも入れるということです。
普段から音楽と心理や、音楽にまつわる色々な本を読んでいますが、この学会に入ればさらにおもしろい情報が得られるかもしれないし、研究者にも会って話ができるかもしれないと思いました。

早速、学会からの紹介で(これは期待してなかったのですが)、『音楽の科学研究会』という研究発表会の案内が来ました。内容を見てみると、音楽療法や音楽と心理の関係など、興味のあるものがいくつもあったので、行ってみることにしました。

会場は、武庫川女子大学で(こちらには音楽療法士のための学科があり、この科の先生方が進行や全体のまとめ役をされていました)、参加者は60名近くということで、研究者などの社会人以外に学生さんたちもいました。
8人の発表者が順番にそれぞれのテーマについて発表を行い、発表ごとに質疑の時間があるというスタイルでした。どの内容も興味深く、特に人はどう音楽を感じるのか、どういう影響を受けるのか?ということに関するものは、自分のやっていることともリンクさせながら聞いていました。

研究会終了後は、茶話会があり、またその後の親睦会にも参加して、色々な方と、色々な話をさせていただきました。皆さん、とても気さくでフレンドリーで話しやすいし、共通の関心事も多いのでついついしゃべりまくってました(笑)。

この『音楽の科学研究会』は、今回で29回目で、学会の発表会とは違ってもっと自由だそうです。「誰でも発表者になれるから、今度は発表してくださいね」と言われました。「そんなー、とんでもない」と言いましたが、ちょっと揺れています(笑)。常に頭の中には、自分が音楽をやる上で自然に発生したテーマがいくつかあるし、参考文献になりそうな本も何冊かは思い当ります。ただ、今回聞かせていただいようなレベルにまとめられるか? そんな立派なことはできませんが、自分の考えを少し整理するいい機会かもしれません。来年発表させてくださいと言えるかは別として、やってみてもいいかなという気に少しなっています。

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2017年05月06日

現代アート(ライアン・ガンダー展)を鑑賞して

大阪の国立国際美術館へ行って「ライアン・ガンダー展」を見てきました。このアーティストのことは知らなかったのですが、美術館のサイトを見て、おもしろそうだなと思って行くことにしました。
たまに美術館に行きたくなりますが、広がりがあって、明るくて、空間が楽しめるようなモダンなタイプが好きで、作品そのもの以上に全体の雰囲気を楽しみたいという感じです。

さて、展示室の中に入って、作品を半分くらいみたあたりで、「ああ、ぜんぜん、わからん」と思って、初めて音声ガイドを借りることにしました。これまでも現代アートは「よくわからないもの」という認識で、それでも美術館という空間を楽しめればいいと思っていました。でも、今回は「なにか手がかりが欲しい」という思いが強くなりました。現代アート以外の作品、風景画や静物画、抽象画でも、そこから何かを感じる、それなりの鑑賞の仕方を自然にしていると思います。でも、現代アートは大体「わけがわからない」という印象で、なぜ、そんなにわかりにくいことをするのだろうと思うこともよくあります(例えばカバンや靴が置いてあるだけとか、意味不明なコラージュとか)。

ただ、昨年行った金沢21世紀美術館で見た「西京人」という展覧会は、メッセージ性が高いと感じ、全体的に親しみやすいい印象でした。常設で、人気のある「プール」も、鑑賞者が作品の中に入り、それを他の鑑賞者が見るという、常に変化する作品という風に感じて、おもしろかった。この美術館は鑑賞者に、より自発的に参加することを促すようにできていると思います。とても、すてきな美術館でした。

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(話を戻して)音声ガイドを借りて、また最初から見始めると、面白い! それを聞いても作者がなぜそれを作ったのか、何を意図しているのか、そういうことはわからないのですが、作品に少し親しみが持てるような気がします。それが何でできているのかとか、それは製作の過程でできたもので完成品はネットで見られるとか、それは〇〇とのコラボで作られたとか、どういうしくみで動いているとか、そこの穴と横にあるものとの関連とか、そういったことがわかるだけでも、楽しくなってくる。

美術館を出てから、夫とライアン・ガンダー展について話をしました。夫は音声ガイドは利用しませんでした。それで、どうだったかと聞くと、「面白かった」と。私は音声ガイドがあった方が楽しめたけどと言うと、「それはそれでいいんじゃない」と。私は、現代アートの鑑賞の仕方がいまいちわからない、よくわからない、どっちかというとつまらない、というと、「子どもだったら、きっと面白がる」と言う夫。それを聞いて、はっとしました。なんか目からうろこが落ちたような。一瞬自分が童心に帰った感覚がおこり、「あっ、楽しいかも」と思えました。子どもなら、様々な不思議な展示物を見て、「これは何を意味するのだろう?」とか、「これって、アート作品といえるのだろうか」とか、「作者は不親切じゃないか?」とか、そんなことは考えないでしょう。ただ、純粋に好奇心を持って接し、「これ何やろう?」と自分の想像をふくらます(でも興味持てないものはスルー)、そんな気がします。現代アートは感じるものじゃなくて、何を意味しているか考えるものと思っていました。その答えがさっぱりわからないから、つまらなかった。答えはそれぞれの頭で自由に作り出すということを子どもは勝手にやるかもしれない(?)。

作品を受け身で楽しもうとすると作品に色々求めてしまうけど、自発的に楽しむのなら自分が勝手に想像して楽しめばいい。そもそもアート鑑賞(現代アートに限らず)に正解などはないはず! そうなると作者がそれに意味を持たせているのか、ひらめきだけなのか、どっちでもいいとすら思える。人によって全く違った解釈が生まれる可能性を秘めている。そういう風に思うと現代アートはこれまで思っていたのとは違う意味を持っていると思えます。
大人だから、意識しなければ「子どものような心」で接することはできないけど、次からは現代アートを違った目で鑑賞できるかもしれない。もっと、自発的に想像ごっこにトライしてみよう。もちろん、スルーしてしまう作品もあるかもしれませんが💦。他のことでもそうですが、肯定的に接するのと、否定的に接するのではそもそも違った印象になると思ってます。

色々考えてから改めて思い返してみると、ライアンさんの作品はいたずら心、ユーモアがあったな。音声ガイドの説明でも何度か笑ったし。今回のアート鑑賞は、ちゃんとその後それについてつっこんで話をしたことで、私にとってぐっと実りあるものとなりました。よかった(^^)


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posted by yoko at 15:39| 京都 ☁| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月04日

『シーモアさんと、大人のための人生入門』を観て

京都シネマで『シーモアさんと、大人のための人生入門』を観てきました。これから観ようと思っている人で、内容について少しでも知りたくない(ネタバレはいやな)人は、ここでストップしてくださいね。

この映画は、シーモア・バーンスタインというピアニストでピアノ教師のドキュメンタリーです。50歳で現役コンサート・ピアニストをやめ、ピアノ教師という仕事に情熱を注いでいる人ですが、シーモアさんの生き方、考え方から多くのことを考えさせられました。映画の最中、シーモアさんが語る部分がたくさんあって、本であればもう一度読み返したいような所がいくつもありましたが、考えているうちに次に進んでいってしまう、または美しい音楽に気をとられている間に、字幕を読みそこねたりという感じで、聞きもらしてしまった箇所がいくつかあったと思います。それで、パンフレットを読んで思い返していますが、シーモアさんの演奏も含め、また観たい映画です(京都シネマは5日で終わりだから別の機会にでも)。

公式サイトはこちら

シーモアさんの言ったことについて色々書こうと思いましたが、大変なので(笑)、とりあえず印象的だったことのうちの一つを書きます。
それは「答えは自分の中にある」ということです。宗教では答えを神に求めるけれど、シーモアさんの考えは「答えはそれぞれの人の中にある」ということです。これにはとても共感しますし、これは「禅」的だなと思います。
シーモアさんもたくさん悩んできて今の自分がある。この映画の監督であるイーサン・ホークも自分の悩みをシーモアさんに打ち明けた。シーモアさんはイーサン・ホーク自身の口から答えが出てくるように誘導する。
シーモアさんのアドバイスは普遍的で、音楽に関係のない人達にとっても救いとなるのだろうと思います。

音楽に対する純粋な思い、音楽で人に生きる力を与えたいという思い、優しさ、シーモアさんの人格が生み出しているような優しく美しい音楽。映画の最後は2012年に行われたコンサートですが、その時点で85歳くらい! ブラームスの間奏曲、シューマンの幻想曲、なんという深い表情のある演奏。もう、涙が出て大変でした。まわりにあまり泣いてる人いなかったけど、鼻をすすっている人はいた(笑)。私は感受性が強いのかな。でも、生演奏ではないのに泣けるのは珍しいかも。

シーモアさんは本も書いてるとパンフレットにあって、もしかしてと自分の以前借りて気になってた本のリストを見ると、なんとシーモアさんの『心で弾くピアノ』と『ピアノ奏法20のポイント』の2冊がありました! 何年も前で内容は覚えてないので、早速『心で弾くピアノ』図書館で予約しました。

観る人によって、受け取り方は色々だと思いますが、私にとっては音楽について、人生について改めて考えさせてくれた、いい映画でした。

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実物はもっと優しい顔です(^^)


posted by yoko at 01:50| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月23日

音楽の聴き方いろいろ

昨日は、いるか喫茶バーでBGM演奏しました。BGM演奏は、お客さんが食べたり飲んだり、しゃべったりしている後ろで弾いているわけですが、私はこういうスタイルがわりと好きです。こちらもリラックスできるから。
シーンと黙って聞いていただくのもいいのですが、もともと音楽というのは皆で楽しむものだというのがどこかにあるのかな? BGM演奏でなくても、音楽聞いてて楽しくなってきたら体を動かしたり、鼻歌歌ったり♪、じーんときたらため息をついたりしていただくのもありかな、私の場合。(以前ファゴットの方とデュオで「ロンドンデリーの歌」を演奏した時、聴きながらご年配の方が鼻歌を歌ってらっしゃったことを後で聞いてうれしく思いました。歌いたくなる気持ちになってもらえたということだと思うし)。
緊張感のある中での音楽というのは、本当のところ好きかどうかわからない気がしないでもないです(←まわりくどい)。

先週の小倉山サロンの音楽会でも、コンサート形式で弾いたのとは別に、「弾きたい人はどうぞ」と言ってくださったので、皆さんが食事しながら歓談していらっしゃる間、オリジナルを2〜3曲弾かせていただきました。がやがやとにぎやかな中、一人楽しんでいました(でも、関心持ってコメントくださった方もいました)。

何年か前、京都芸術センターでペトロフのピアノを弾く会というのがあって、弾かせていただいたことがあります。その時の参加者10何名かのうち、一人がジャズを、二人がオリジナルを弾かれました。あとはクラシックです。
ジャズを弾かれた方が、普段はお店でお酒を飲んでいるお客さんの前で弾いていて、こんなにシーンとしてお酒も飲まず(笑)聞かれると弾きにくい、というようなことをおっしゃっていました。確かにジャズライブの場合はなおさら、シーンと聴くのも妙な気がします。ジャズ喫茶などでは、皆真剣にレコード聴いていて、しゃべれない雰囲気のところもありますが(^_^;)。

でも、クラシックも昔はお客さんは黙って聞いてなかったようですね。モーツァルトが、自分の意図したところが受けているかどうか、聴衆の反応で確認していたことが、確か『モーツァルトの手紙』(吉田秀和著/講談社学術文庫)のどこかに書かれていました。今のように、全楽章が終わって初めて拍手するというスタイルでもなかったようですね。

まあ、BGM演奏なのかコンサートなのかで、おのずと聴き方は決まってくると思いますが、どんな状況でも私自身はなるべく聞いてくださっている方々に緊張感を与えない弾き方をしたいなと、一応💦心がけているつもりです。


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2017年04月16日

春の音楽会

今日はダルクローズ・リトミック京都研究会の会場である、嵐山の小倉山サロンで音楽会がありました。参加者は田中先生のダルクローズ・リトミック指導者仲間や、月例会に参加している人たちで16人ほどだったと思います。それぞれ、声楽曲、ピアノ曲(ソロ・連弾)などを演奏し、合唱をし、軽い食事やお茶などをいただくきながらおしゃべりするという楽しい音楽会でした。
曲目はそれぞれがやりたいものを選んできたのに、バロックから現代(日本の作曲家)まで、またジャズもあり、かなりバリエーションに富んでいて、新たに素敵な曲を知ることもでき、楽しめました。

私はモーツァルトのソナタの緩徐楽章と自分の曲をやりました。皆さんクラシック弾かれるのかなと思ったので、1曲はモーツァルトにしました。おひとり、私のオリジナル曲を聴いて「とてもよかったです、最後の方で涙がでました」などとおっしゃり、色々な言葉ですごくほめてくださったピアノの先生がいらっしゃり、なんという優しい方だろう!と思いました。本当にうれしかったです。たとえ100人に1人、1000人に1人でもそう言ってくださる人がいれば、音楽をやっていてよかったなと思えるのですから。曲のできばえとか、演奏の程度とか、そういうのをすっとばしても何か心に感じてもらえればうれしい!

田中先生にお会いしたのは毎月の月例会を含め、今日でまだ5回目なのですが、豊富な経験に加え、さらに音楽に対する幅広く意欲的な取り組みと、行動力に毎回刺激を受けている気がします。私ももっとがんばろうと思わせていただいています。月例会の内容も勉強になっていますが、それ以上の何か魅力を感じています。

もともとここに来たきっかけは、リトミックの指導の話(ダルクローズの本格的なのではなく)があったからですが、結局お断りした後も、リトミック以外の勉強もあるし続けていて、こうして音楽会に参加していることを、何かのご縁だなと改めてしみじみ思いました。

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posted by yoko at 22:46| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

久々の録音

半年ぶりに曲をアップしました。3月の終りにスタジオで録音しましたが、録音したのを聴いてみると気になるところが色々あり(スタジオでちゃんと録音して聴いてみたら、こまごまと気になることに気づいてしまうというのがあります)、アップしませんでした。
私の行っている録音スタジオの予約は4時間以上からで、4時間の場合、正味録音のために弾けるのは2時間半くらいですが、集中力からいってもそれくらいでちょうどという感じがします。前回は6曲用意していったのですが、間違えたら頭から弾きなおし、一応無難に録れたと思ったものは聴いて、問題を発見してまた録りなおしてとやっていると時間が足りない。それで今回は4曲にしました。前回に比べ、録りなおす時間に余裕はありましたが、それでも十分ではなかったです。4曲のうち1曲は、家に帰ってから聴いてて、あっ、この部分変えたいなというのが出てきたので、また曲をさわって次回録ります。演奏上気になるところは多分何度やりなおしても永遠になくならないので(未熟なもんで💦)、3曲はアップしました。

ネットに上げている限り、誰かがどこかで偶然聴いてくれるかもしれない。それを楽しみにぼちぼち創作を続けていきたいなと思っています。
よかったら聴いてみてください。











posted by yoko at 23:54| 京都 | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

春休みの親子イベントで

25日は、パルヨン(京都で暮らす外国人女性と彼女たちのサポートをしようとする日本人の会です)のおしゃべりの会(プフー)でした。以前も一度ブログに書きましたが、もともとこの会に参加したきっかけは、一緒に音楽しませんか?という提案でした。それで、一度みなさんで歌う機会を作っていただいたのですが、もともとそれはこの会の目的ではないし、今後そういう機会があるかどうかはわかりません。でも、パルヨンには色々な人がやってきて、出会う機会があります。

26日の母子会の春休みイベント(山科の青少年活動センター)は、パルヨンで出会った人が誘ってくださいました。
ご要望いただいた、クラシックの曲と歌(伴奏)をやりました。参加者は親子以外に関係者など、全部で15名ほど?
プログラムは、誰でも知っていそうな有名なクラシック曲の最初のきりのいいとこまで弾いて、あててもらうクイズ。そして簡単な、曲と作曲家の説明など。それから後半は皆で歌うという内容。
誰でも知ってそうなと思って選曲したけれど、「トロイメライ」や「トルコ行進曲」など、知られてなかった。「楽興の時」などは論外でした。
お子さんは4歳から中学生まででしたが、小さい子には難しい内容だったでしょう。それでも、3月初めの子育て講演会のアンケートでもクラシック音楽に対するご要望があり、お子さんにクラシックの生演奏を聴かせたいという親御さんは少なからずいらっしゃるのだなと思っています。もっともっと上手で素晴らしい演奏が世の中に山ほどあっても、なかなか誰でもどこでも聴けるもんじゃないから、私のようなものでも弾く機会があるんでしょう。ありがたいことです。近所で気楽に聴ける、というのがミソかな?

いつも行っている児童館のイベントでは、0歳から2歳くらいまでのお子さんが多いので、当たり前ですがなかなか普通のコミュニケーションはとれませんが、今日は、たとえば「学校でどんな楽器を使ったことある?」と聞くと、「カスタネット」「リコーダー」という返事が返ってきて、話をしながらすすめられたから、また違った楽しみがありました。

プログラムが終わった後、ピアノのペダルへの質問があったので説明していて、そうだと思って、子どもたちにピアノの中を見てもらいました。小さな子は椅子にのって。「ここに弦があって、こうやって音が出るよ」と説明すると、子どもたちは鍵盤をならして確かめていました。4歳の子も! この時が一番子どもたちが興味を示していたような気がします。純粋な好奇心を間近で感じて、うれしかった。楽しいイベントでした。

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posted by yoko at 01:04| 京都 ☔| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

音楽は抽象的ですよね

今晩(24日のこと。今は25日1時すぎ、眠い!)は、いるか喫茶バーでBGM演奏をしてきました。今回は編曲ものなしで、20曲弱ほどオリジナル。
そのうち、わりと新しい3曲はまだタイトルが決まってなくて(とりあえず番号をつけてます)、いつものことですが、困ってます。以前も書きましたが、タイトルを決めてから曲を書くことはあまりないので、あとから決めるのですが、この抽象的なものにタイトルをつけるのがとても難しいといつも感じます。音楽を言葉に置き換えるのは無理があると基本的には思っています。それでも、タイトルがないと自分でもどれがどれだかわかりにくい。なんとか、名前をつけてしまえばだんだんふさわしく思えてくる。そういう理由で今のところどれもタイトルをつけています。
来週は久々に録音をするので、それまでにはなんとか決めたいのですが💦

今、『西洋音楽史』(岡田暁生著/中公新書)という本を図書館で借りて読んでいます。ダルクローズリトミックの先生に教えていただいた本です。このタイトルでは自ら手に取ることはないと思いますが(平凡なので)、面白そうだなと思って借りてみました。まだ途中ですが、やはり独特の視点が面白いです。色々勉強になるので資料としてまた買ってもいいかなと思っています。

ロマン派のところで、次のような箇所があります。
「十九世紀に入って、とりわけドイツ・ロマン派の詩人たちの間で、純粋器楽曲崇拝とでもいうべきものが生じはじめる。彼らは芸術の中にあらゆる現実=具象を越えたものを求めてやまなかった。(中略)
諸芸術の中でただ音楽だけが、それも器楽曲だけが、具象界を超越することができる。その漠たる抽象性のゆえに無限に想像力の翼をはばたかせることができるのだ。」

まあ、とにかく言葉を使わない音楽は抽象的であることに関する記述を見つけて、そうそうと思っているのです。

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2017年03月10日

ミクソリディアを楽しみました

先週の金曜日は、ダルクローズ・リトミック京都研究会の月例会でした。毎回、鍵盤和声・リトミック・ソルフェージュ・即興演奏と4時間ほどほとんど休みなしで行われますが、今回特におもしろかったのは、中世の教会旋法(今回はミクソリディア)を使った曲を聴きながら、何度も出てくるフレーズを覚えて一緒に歌ってみたり、また即席で作ったミクソリディアのメロディをコーラス部分として、その間をソロ回しみたいに順番に即興で歌っていく(コーラス→ソロ→コーラス→ソロ・・・、しかも各自タンバリンや太鼓をならしながら)というものです。
教会旋法は、もとは西洋音楽が長調(長旋法)と短調(短旋法)の二つになる前の、いくつかの旋法です。ミクソリディアはソから1オクターブ上のソまで白鍵のみを弾けばその響きを確かめられます。教会旋法も長調的な響き、短調的な響きがあって、ミクソリディアは長調的な響きです。その前はドリアでしたが、ドリアは短調的な響き。
皆で楽器をならしながら、コーラスとソロ回しで歌っていると、民族音楽感がすごいです。その場で作った曲でもどこかの民族音楽の雰囲気たっぷりです。めちゃ楽しかった。

ピアノ即興でもミクソリディアでトライしましたが、これもなかなか面白かったです。
実は自分の曲の中にも教会旋法的なところは出てきますが、今回何より、皆で輪になって楽器ならして歌って、その魅力を再認識したのでした。

ミクソリディアをグループで体験したあと、『音楽教育における教会旋法を用いた即興の意義』(岩手大学教育学部/中地雅之さん著)という論文をネットで見つけました。

教会旋法の特徴として、
@多様な音楽様式への適応
A旋律的構成の自由と多様性
B和声的な側面において極めて自由
C調性(機能和声)と無調性の両者の性質を持っている
D異国や非現実を想起させ、多様なイメージやファンタジーを喚起する
以上、5点があげられています。
なぜ教会旋法が色々な可能性を秘めているか、わかるような気がします。

「即興は、ある音楽様式における取り決めや習慣にしたがって行われる表現活動であり、単なるでたらめな音の羅列とは一線を画する」(引用)
教会旋法はかなり自由であるけど、調性感もあるから、即興の要素として使えるというわけですね。

また以下のように書かれています。
「教会旋法は機能和声が支配的であった約300年間の芸術音楽を除いた西洋音楽やジャズ、非ヨーロッパ圏の民俗音楽に用いられてきた音組織である。我が国の音楽科教育は、皮肉にも教会旋法が用いられなかったこのわずかな期間の音楽―いわゆるバロックからロマン派までのクラシック音楽―を教材の中心に置いてきた。」

バロックからロマン派までの音楽が一般にはクラシック音楽として親しまれていると思いますが、教会旋法はこの間一旦中断した後(ショパンのマズルカなどには使われているけれど)、サティ、ドビュッシー、ラベルなどの音楽家たちによりまた復活するわけですね。
教会旋法はそれだけ聞くと、あまりなじみのない感じがするかもしれませんが、案外色々な曲に部分的に取り入れられていて誰もが知らず知らず聞ると思います。ふと、色調が変わるような不思議な雰囲気をかもしだしますね。
今回、改めて教会旋法の可能性を感じ、考えました。まだまだ勉強は続きます。


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2017年03月06日

子育て講演会「リズムを感じよう、リズムであそぼう」

今日は聚楽保育所で、「子育て講演会」をやらせていただきました。参加者は親子23組(+保育所と児童館の先生と私で4人)で部屋はかなりいっぱいでした。お子さんは大体0歳〜2歳くらいまで?
色々な形でお知らせされていたようですが、ある所で10:00開始のところ10:30となっていたようで遅れてこられた方たちもいらっしゃって残念がられていました。
今回のタイトルは「リズムを感じよう、リズムであそぼう」で、内容は大体以下の通り。

○お話
・赤ちゃんの聴覚について
・音が赤ちゃんに与える影響
・赤ちゃんとリズム

○今回のテーマに合わせ、バロック時代の舞曲(メヌエット、ポロネーズ、ジグ、ガヴォット)を紹介、演奏

○保育所さんからのご提案でパネルシアター(ひな祭りの曲で)

○即興わらべうた(ちょっと事情が変わって、説明のみとなりました)

○からだを使った音楽遊び
・If you're happy
・Head, shoulders, knees and toes
・Make a circle

○マラカスを使って歌う
・おもちゃのチャチャチャ
・森のくまさん

後半は皆さんに参加していただくということもあり、なかなかにぎやかに盛り上がっていたと思います。
またピアノに触りに来る子、体をゆすっている子もいました。

今回、一度みなさんの感想なども知りたいと思い、急きょ、朝アンケートを作りました。
全員回答してくださり、興味深く読ませていただきました。
今回初めて英語の歌遊びをやってみましたが、思っていた以上に好評でした。英語は音楽と相性がいいと思うので、遊び感覚でやってみて、楽しんでいただけて何よりです。
その他の内容についてもそれぞれ興味を持ってくださったり、よかったと言われた方たちがいらっしゃいました。また、もっとこうしてほしいなどのご要望もいくつかありました。
アンケートって大切ですね。色々な感想、ご要望が聞けてよかったです。また今後の活動に生かしていけたらと思います。

講演会終了後、質問に来られた方がいらっしゃって、子どもの音楽への接し方についてでしたが、そうやって関心を持っておられる方とお話できるのも、うれしいことです。

さて、今月はもう一つ、親子向けイベントがあります。今度は小学生。また喜んでいただけるようがんばります!


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2017年02月09日

和声について少しだけ

先週、ダルクローズリトミック京都研究会の月例会に参加してきました。レッスンを受けられているのは、ピアノの先生(多分)やリトミックの先生などで、多分私のようなものは私だけ? 内容はリトミック(大人向け)の他、ソルフェージュ、即興、鍵盤和声などですが、先週のレッスンで和声について改めて考えるようになりました。

ネットで色々と検索していてたまたま『即興演奏指導法の研究』(島根大学教育学部/小林昭三著)という論文を見つけました。最初の方に、中田喜直の本からの引用があります。そこを読んで、ん? 確か私が持っている中田喜直の本に書いてあったような?と思って確かめてみたらやはりそうでした。
『実用和声学―旋律に美しい和音をつけるために―』という本です。改めて同じあたりを引用します。

「もちろん和声学もピアノを使って勉強するが、和声学はピアノのためのものではないので具合が悪い。和声学はその名の通り、和音の中の一つ一つの音を独立した声部として扱い、その声部の扱いを厳格に規定したものであるから、混声合唱か、異なる楽器の四重奏でやらなければ本当に理解できないわけである。
平行八度や平行五度の禁則は、そのようにすればある程度理由がわかるが、ピアノで弾いたのでは悪く聞こえない場合が多いから、例えば下記の楽譜で、点線で示したところが悪いということはまったく無意味になってしまう。ピアノにはピアノの弾き方があり、ピアノの響きがあるのだから、ピアノを使うなら和声学ではなく、和音学の方が必要なのである。」

鍵盤和声は和音学ということになるかな?
また、別の論文『鍵盤和声における転調の実際』(千葉大学教育学部/紙屋信義著)には、C・ケックランの引用があります。

「深い音楽的情緒を支配するのは特に転調である。それは常に最後の勝利ともいうべき音楽的感覚に従わなければならない」

うん、「最後の勝利ともいうべき音楽的感覚」ってすばらしいなと、この引用元の本を見てみると『和声の変遷』とあり、この本は私の本棚にもあるじゃないですか! それで該当ページをめくってみるとアンダーラインが引いてありました。そこを読んだ時、いいと思ってたんでしょう。忘れてましたが(笑)。

まあ、とにかく実際の音を聴いて、それがいいかどうか判断する「耳」こそが大事だというのが、私の興味を持つ和声の本には大体書かれています。読みたいことろばかりに目がいくとも言えます。

和声に対する考え方でとても共感を覚えたある作曲家のブログ記事があります。
『和声学習に想う・・・・「見えないカデンツ」』(阿部俊祐さん)

「演奏活動が円熟してくると次第に、実体をもった「何か」の音楽感覚が知らず知らずのうちに自分の中にいることに気づき始めると思います。それがきっと「見えないカデンツ」です。」(引用)

私が共感を覚えたのは、演奏活動は円熟してませんが(笑)、年齢と共に経験値(音楽やそれ以外も)も多少上がってきた後の、自然発生的な創作の中に「見えないカデンツ」的なものを見つけたから。私の乏しい机上の音楽理論知識よりも、過去の素晴らしい作品から実践を経て得てきたもの(こちらも全然十分ではないのだけど、音楽の秩序のようなものや感動!)が創作につながったんだと思います(たいした作品じゃないですがね💦)。
それから1年と何か月かたって、今までブログでもちょこちょこ書いてる即興演奏への欲求というのが少し出てきて、もともと別の理由で行きはじめたダルクローズリトミックの月例会に参加している中で、自分に必要なものが新たに見えてきた段階です。自分の納得いく形での創作と即興演奏のための和声の勉強です。手元に色々な本もありますが、何のため?という目的がわりとはっきりしてきたので、以前目を通した時とは違ったことが吸収できるかもしれません。また道なき道を自分の中の要求に従って行きます!

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2017年01月22日

「身体による表現」

今日は京都音楽院で行われたクリエィティブリトミック音楽指導研究のうちの、「身体による表現」(ボディクリエーションコース)に参加してきました。
ちらしによると、「音楽や表現を体験的に理解し、模倣や即興、創作の遊びを通した創造的な音楽活動の提案を実践していきます」などと書かれていますが、どんな内容なのかいまいちわからないまま、でも今私が気になっていることに近い感じもして、トライしてみることにしました。

講師の井上浩子さんは、音楽教育家のオルフやダルクローズの考えを紹介しつつ、体を使ってできる表現について、様々な方法で指導してくださいました。先生はヨーロッパやアメリカで学んでこられていますが、向こうでは音楽家はみんなダンスを学ぶということです。体を使ってリズム感覚を習得するという考えのようです。単なるリズム感覚ではなく、豊かなリズム感覚と感じました。

今日はたくさん体を動かしましたが(音楽ありとなしの両方)、その際どの部位が働いているのかということに意識を向けるということをたくさんやりました。その中で「筋感覚」のお話もありました。
筋感覚については以前読んだ『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』で知り、その話をしました。この本では、筋感覚は五感の次にくる第六感と位置づけていています。ピアノを弾く時どこの関節、骨、筋肉が関係しているのか、そういったことを意識することによって、弾き方が変わってくる。今日のお話と重なる部分があります。
体の仕組みを知りむだな力を使わず動かすという物理的な側面と、音楽を感じて体で表現するという芸術的な側面の両方について改めて考え、また体を動かすことと心理面との関係を認識するなど、とても有意義なワークショップでした。

最近取り組んでいることは、私の音楽そのものと、みんなと共有するための音楽活動どちらにも生かしていけるものじゃないかなと感じています。


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2017年01月18日

どこかの誰かさんが……

YouTube以外にSoundcloudという音楽サイトに自分の作品をアップしていますが、フォローされたらフォローするくらいの感じで自分からアプローチしてないので知られこともあまりないのかなと思ってますが、昨日ふとある人がリストを作っていて、私の曲が1曲入っていることに気づきました。
なんとそのリスト名が
"Neo Classical Artist to Watch - 2017"! そんなあ〜💕(笑)



ありがたいことです。この方は私よりももっと積極的にSoundcloudを活用されているので、私の曲もこれまでより多くの人に聴いていただける機会が増えると思います。リストにはけた違いにたくさん再生されている素敵な曲がたくさんあって(私のが少なすぎ)、興味深く聴かせてもらっています。私浮いてない?とか思いながら(笑)💦。
私のことを知らない人が音楽だけを聴いて選んでくれたということはうれしいことです。私は決して自分に自信があるわけじゃないけど、ただ素直にうれしいです。

今次の録音に向けて準備中ですが、あれこれ取り組んでいるので時間がかかってしまってます。今回のことでまたさらにやる気でてるので(ほんと単純だから)、早くスタジオ行けるようにしたいです。



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2017年01月09日

「即興」について考える

今年最初のブログです。今年もよろしくお願いします。
先週の金曜日、ダルクローズ・リトミック京都研究会の月例会に参加しました。田中弥生先生はダルクローズ国際ライセンスをお持ちで、内容はリトミック、ソルフェージュ、即興、鍵盤和声、指導法と盛りだくさんでした。全体を通して即興の要素が多く(リズム、歌、ピアノ)、またグループで行うのでリズムのかけあいをしたり、メロディーを紡いだり、音楽を通してのコミュニケーションを何度も意識し、興味深かったです。

以前ブログで一部ご紹介した『フリープレイ―人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』(スティーブン・ナハマノヴィッチ著/フィルムアート社)は、まだ読んでる途中ですが、この本を読んでから「即興」(インプロヴィゼーション)とは広く創造を意味するものとしてとらえるようになりました。この本の中に「作曲とは、インプロヴィゼーションをゆっくりおこなうことである」というシェーンベルクの言葉が紹介されています。この本では音楽に限らず、生きていく上での「即興」(創造)の重要性を説いていると感じます。
ナハマノヴィッチはヴァイオリニスト、作曲家、詩人、教師、コンピューターアーティストということですが、コンピューターと人間の違いについてこんな記述があります。
「コンピューター演算は、AからBへ、BからCへ進む直線的プロセスであるのに対し、直観はむしろ、集中的な演算です。すべてのステップと変数は、一度に、いまの瞬間という中心の決定点に収斂します。」

AI(人工知能)の進歩が目覚ましい中で、やはり人間にしかできないことについて考えさせられます。人間の創造力によってなされることがそのうちの一つではと思います。

昨日たまたまのぞいた十字屋のワゴンで『おとなと子どものための即興音楽ゲーム』(リリ・フリーデマン著/音楽之友社)という本を見つけました。少し読んで著者にとても興味を持ちました(そして40%offで買いました!)。
訳者のまえがきに著者について次のようなことが書かれていました。
「私は音楽療法の勉強はしていません。療法的効果をねらってゲームを考案している訳ではないのです。ただ、私と一緒に一定の期間、こうしたゲームをやってきたおとなや子どもたちから、精神的ストレスが主な原因となる症状がやわらいできた、という話はよく聞かされました。私のいくつかのゲームによって、あるいは、参加者がお互いを認めながら同等のレベルでのパートナーシップの下で進めるというゲームの原則によって、ねらわずとも自己の内面の力が強められ、自身が変わっていくということは、私にも参加者の体験を見ていて確かなことです。」

確かに、先日のリズムやメロディ―や動きの即興は楽しいものでした。精神の解放という感じでしょうか! 音楽を感じてそれを自分の感覚で表現していく。その時に「即興」することで引きだされる可能性のようなものを感じました。普段から常に音楽で表現しているつもりでしたが、また「別の何かがある」という感じ。知らなかった自分?みたいな。
フリーデマンのゲームがどんなものかまだ見ていませんが、やり方はともかく、その結果もたらされたことが興味深いです。

もともとヴァイオリニストであるリリ・フリーデマンが即興演奏や指導を始めたきっかけについて書いてあります。
「いつだったか、ある音楽会議で音楽家たちが集まった時に、こんなことを言う人がいたのです。『こんなに何人もの音楽家が集まっているというのに、一緒に何も弾けやしない。ただ、楽譜が手元にないからって、こんなことでいいのかい?』この言葉は私に大きな衝撃を与えました。」

私はとりあえず自分が即興演奏をしたいといのではなく、創造という意味での即興の持つ可能性を探り、それをなるべく多くの人と共有したいと考えています。


posted by yoko at 12:40| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

2016年の終りに

2016年も間もなく終わり。大晦日はいつも、一応主婦業もしているのでいくら手を抜いても普段よりはやることがあり、今日もお正月のための買い物(最低限ですが)などで時間をとられました。
元旦くらいは多少はいつもと違わないとなあと毎年めんどくさいなと思いながら、いかに簡単にちょっとお正月らしい雰囲気を出せるかを考えながらスーパーをうろうろしています。
そして大晦日でも毎年ピアノを弾きます。弾きたいから弾くだけ。今年は今作ってる曲が最後の曲になりました。まだ出来上がってないけど。なんか大晦日はいつもしみじみした気持ちで弾きます。今年はこれで終わりだなと。

最後に『フリープレイ―人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』(スティーブン・ナハマノヴィッチ著/フィルムアート社)の中の、「練習すること」より、ストラヴィンスキーの言葉を引用します。

「作品を紙に書く行為というものは、パン生地をこねるように、
私にとって、創造の喜びと切り離すことはできません。
私に関する限り、スピリチュアルな努力と
心理的身体的な努力を切り離すことはできません。
これらは、同じレベルで私に直面し、ヒエラルキーがないのです」

それでは、皆さま良いお年を!


posted by yoko at 23:52| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする