2015年03月28日

ハーモニウムを聴いて

桜がちらほら咲き始めている中、今日は夫とスイス人Cさんとギャラリー揺の展覧会に行って、パブロ・エスカンデさんのハーモニウムの演奏を聴きました。
私も2月にたまたま古い足踏みオルガンを弾く機会があったのですが、ペダルを踏んで空気が送られてから音が出るまで多少のタイムラグがあり、それを見越して弾かなければならない楽器であることがわかりました。今日パブロさんが弾いたハーモニウムも私が弾いたのとよく似た形で、タイムラグの説明もありました。
バロック、モーツァルトなどの演奏の他、パブロさん作曲の子守歌のモチーフとアルゼンチンのリズムを合わせた曲があり、パブロさんらしい素敵な曲でした。このタイムラグのある楽器でリズミカルな曲を弾くとはさすがです!
終わってからまた少し話を聞いて、膝のあたるところにある木のレバーはクレッシェンドとデクレッシェンドのために使うもので、それはハーモニウム独特の機能だそうです。
今は自分の中から出てくる音楽に従ってしばらく1人で編曲をしていますが、今日パブロさんの音楽を聴いて近い将来アドバイスをしていただきたいなと改めて思いました。


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2015年03月26日

interactive!

今日、スイスから遊びに来ているCさんに、3月初めの子育て講演会の話をしました。来てくれた親子にも歌ったりマラカスを振ったりしてもらったことを話すと「interactive!(双方向)」という言葉が飛び出しました。先日Cさんがうちに来てくれた時、演奏したり話したりを交互にしたことをブログで「双方向な感じ」と書いていたから、また偶然この言葉だなと思いました。
そして、私の話を聞いて、ひとつエピソードを話してくれました。
あるパーティでミュージシャンを呼んで演奏してもらったことがあり(3人グループで、ギター演奏)、演奏はとても素晴らしかったのですが、何も話さず、お客さんの方をあまり見ず、要は聴いている人にあまり関心を示さず、それがとても不快だったということです。そんなこともあるんだなという感じですが、特にお客さんとの距離が近い場合、ただ演奏するだけでは違和感があるんですね。あらためて演奏プラス、コミュニケーションをとる姿勢は大切だと思いました。
私は聴いてくださってる人に関心大です(笑)。聴いてくれてありがとうございます!という感じです。


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2015年03月25日

レッスンは柔軟に

今日はうちにピアノを習いに来ている方がお孫さんを連れてきました。野球少年の彼にとって今日はちょっとした音楽体験となったようです。
レッスン中、ピアノのハンマーが弦を打っている様子を見てごらんと促すとしばらく見ていたり、本棚から歌のファイルを取り出してながめたり。
練習曲が終わって、曲の方に移ろうとすると生徒さんは自分が弾く代わりに、私にお孫さんが学校でやっている曲を弾いてもらえないかと頼まれました。お孫さんが知っている曲を生のピアノで聴かせたいという思いを持って今日は連れてこられたのでしょう。頼まれた2曲を適当ですが弾きました。
とりあえず喜んでいただけたようで、よかったです。またおいでね、と言うとにこにこして帰っていきました。


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2015年03月24日

小さな音楽会

先週末からスイスの友人Cさんが日本に遊びに来ていて、彼女の滞在中一緒に色々な所へ出かけますが、今日はうちに来ました。ひとつには私のピアノを聴きたいということで。前回来てくれたときはステージとうちで聴いてくれましたが、今回は外で聴いてもらう機会はないので、ピアノの横に座って聴いてもらいました(私の夫もその横で)。

今回は自分がアレンジした曲とクラシックと何曲か弾きましたが、特に知りたかったのは日本の童謡や唱歌をどのように感じるかということでしたが、特別日本的だとかいうことよりも「ビューティフル」だと言ってくれました。私がアレンジして弾いた童謡や唱歌の作曲家も、西洋音楽が日本に入ってきた後でそれらに非常に深く感動して曲を作ったということも説明しました。

色々な話を交えながら、曲を弾き、そしてCさんは「ビューティフル、……」とポジティブなコメントをしてくれて、また私の音楽への向き合い方などについていくつか質問をして、また曲を聴いてもらって、また感想と質問を受け、双方向な感じで自然な雰囲気の音楽会となりました。このような形で音楽を共有できることは素敵だなと思います。


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2015年03月20日

世界の民謡

今日はオカリナのKさんと合わせ練習でした。前回から1ヶ月の間に5曲の編曲を済ませ、アンサンブルはクラシックの1曲以外に8曲、編曲した作品を演奏することになります。
今回の選曲の中には、唱歌・童謡以外、アイルランド民謡(ロンドンデリーの歌・庭の千草)とイングランド民謡(グリーンスリーブス)が入っていますが、どれも懐かしさや切なさを感じる曲です。

『赤ちゃんは何を聞いているの?』(呉東進著)では、世界各地の子守歌のうち日本の歌を含む19曲を調べたところ、ピアノの真ん中のドから6度上のラの音(440ヘルツ)の音が一番多く使われていることがわかり、このラの音が赤ちゃんの泣き声や、胎内によく聞こえている音と同じであることを紹介しています(3月初めの子育て講演会でもこのお話をしました)。

また『音楽と認知』(波多野誼余夫著)にも、5音音階(日本ではヨナ抜き音階と言われる)はアイルランドやハンガリー、中国、韓国の民謡、ドイツのわらべうたにも共通して見られると書かれています。

民族固有で発展していった音楽は色々あっても、これらのことなどから人はもともと共通した音楽性を持っているのでは?と思うことがあります。不思議で興味深いことです。
ロンドンデリーやグリーンスリーブスのような日本でも親しまれている曲以外の知らない民謡ももっと聞いてみて、素敵な曲を見つけて編曲できたら面白いかも。



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2015年03月15日

音の種類とピアノの音

『楽典 音楽家を志す人のための』(菊池有恒著)の中に、音の種類について書かれている部分があります。

「音は振動(vibration)の状態によって純音・楽音・噪音に分けられる。

純音(pure tone)
強さと高さは明瞭であるが、倍音を含んでいないため音色の差はなく、機械を通して見た振動の波形は単純である。普通の楽器からはほとんど出せないが、純音に近いものとしては、時報の音、音叉の音などがある。

楽音(musical tone)
声や大半の楽器が発する音で、強さ、高さのほかに、発音体の構造によるさまざまな倍音が含まれているため音色も明瞭である。振動の波形は倍音が含まれるため複雑であるが、規則正しく繰り返される。

噪音(unpitched sonud)
強さと音色は明瞭であるが、音の高さ(pitch)は不明確である。したがって振動の波形は複雑で不規則である。物のこわれる音、ぶつかる音、打楽器類の打撃音などがこの部類に入る。ピアノやピッチの明瞭な打楽器類は、打った瞬間は打撃による噪音を発し、その直後に規則的な振動による楽音が持続している。このように噪音と楽音の同居した楽器は多い。

なお、やかましい音は騒音(noise)という。」

ピアノを打楽器というのは違和感がありますが、打弦楽器とも言われるのは、鍵盤を打つ(弾く)という行為があるからですね。
私は毎日ピアノを弾いていて、弦が鳴っていることを常に感じているので(うっとり(笑))、どちらかというと弦楽器という意識を持っています。打つ(弾く)という行為は弦を響かすためだから。

上記引用文の中に、「ピアノやピッチの明瞭な打楽器類は、打った瞬間は打撃による噪音を発し」とありますが、これはこれは鍵盤をタッチした瞬間に生じる上部雑音と、鍵盤が底に当たった時に生じる下部雑音のことだと思います。これらをコントロールすることについては『ピアノの演奏と知識』(雁部一浩著)や、内藤晃さんの『ピアノでオーケストラを』(ユーロピアノ)にも書かれています。

私はなかなかそんなにうまく使い分けられてないと思いますが、特に繊細な音を出したい時には雑音のことを意識してより耳を澄ましてみています。


posted by yoko at 23:41| 京都 ☔| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月14日

いつか弾きたい曲

ナクソスで久々になんとなくアルベニスのアルバムを聴いていたら、『プレガリア』が流れてきて、はっとしました。12の性格的小品の中の「祈り」という意味のこの曲は、3年ほど前上原由記音さんのレクチャーコンサートで初めて知ったのですが、きれいな曲だなと思ってその後楽譜を手に入れ弾いてみると、途中から泣けてしまって先に進めないくらい琴線に触れる曲でした。上原さんの話によると、この曲はアルベニスが二人の娘さんを亡くすという深い悲しみを経験した後に作曲されたらしく、そういう曲の背景を知っていることで余計に切なく感じるのかもしれません。
それで、この曲はレパートリーにしてどこかで聴いてもらって感動を共有したいという思いがありながら、弾くたびに激しく心が揺さぶられるので後回しになっています。

音楽と人との関係について色々な本を読んでも、音楽を聴いて心が揺れたり涙が出るのはなぜか?というのはずっと謎のままです。
耳にやさしい自然の音(水のせせらぎ、木の葉のすれ合う音、鳥のさえずりなど)の場合、気持ちが安らぐ気はしても涙までは出てこないので、やはり音楽と自然音では心が受ける影響は違うのかなと思います。自然音でも状況によっては切なく感じたりすることもあることは経験していますが、音楽は状況に関わらずです(どんな音楽でもという意味ではないですが)。

本番などで自分自身が音楽に入り込み過ぎて、流されそうになったことはあります。それではいけないということをチャールズ・ローゼンやその他のピアニストが書いているのをいくつか見ていますし、本番で最良のパォーマンスをするには、演奏中自分を客観視するような冷静さが必要なのだと思っています。
プレガリアはそういう点でまだ自信がないのですが(涙なしに弾く!)、いつか人前で弾いてみたいという思いは持っています。


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2012年7月 アルベニスのレクチャーコンサートが行われた錦鱗館前
posted by yoko at 14:43| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

音律について少し

清水敬一さんの『合唱指導テクニック』という本に次のように書かれている部分があります。

「無伴奏合唱は三和音で純正律を響かせられるすばらしい媒体ですが、古い作品でも旋律的にはピタゴラス音律が向いている場合もあります。音律の問題に全てを満たす正解はなく、研究者の言葉「矛盾と妥協の美学」は見事な言い回しです」

そしてフランス人のチェンバロ奏者が言った「最もすばらしいのは人間の耳の補正能力!」という言葉を紹介し、著者は自分の言葉に少し変えて「人間の脳の補正能力」と言っています。

まとめると、音律の問題に全てを満たす正解はないけれど、すばらしい人間の耳(脳)の補正能力によって、微妙な響きの違いも気にせず(気づかず)音楽を楽しめるということになるでしょうか。

音律については色々な話がありますが、「全てを満たす正解はない(何の問題もない完璧な音律はない)」という言葉にとても納得し、また人間の脳の補正能力もすばらしいと思います。


posted by yoko at 22:29| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月10日

グリーンスリーブスの続き 

グリーンスリーブスについてもう少し調べてみると、そもそも民謡なので作曲者も不詳で音源も色々でした。普通に短調で歌われてるものもあるし、ドリア旋法も使ってる箇所が違ったり。
まあ少々アバウトでも民族や長い年月を越えて歌い継がれているという事実がすごいのですね。
やはり普通の短調では物足りないので、ドリア使いますが全部そうするかどうするか?
posted by yoko at 16:36| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月09日

グリーンスリーブスの隠し味

今、アンサンブル用にグリーンスリーブスの編曲をしていますが、持っている楽譜を元に調を変え、途中まですすめて、やっぱり変?と思ってストップしました。この曲は確かドリア旋法を使ってたはずなのに(そういうメロディーを記憶していながら)、楽譜では普通の短調になっている。
それで音源で確認してみると、やはり記憶の方が正しいというか、こうじゃないとグリーンスリーブスの良さが出ないよなと納得。短調で始まったのに、「あれ?」というひと時の浮遊感が心地良い。
日本でも外国でも、ずっと歌い継がれている曲はやはりメロディに普遍性があると思うのですね。編曲で和音やリズムにバリエーションをつけますが、基本となるメロディの良さは大切にしたいですね。


posted by yoko at 11:52| 京都 ☔| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする