2015年08月30日

『At the end of summer 夏の終りに』

『At the end of summer 夏の終りに』という曲をYouTubeにアップしました。
夏は暑いし寝不足になったり体調管理に気をつかうというのもあって、あまり好きではないのですが、『夏の終りに』という響きにはなんとなく、過ぎゆく夏を惜しむような感じがあるなと思います。8月の終り、夏が好きな人はそのような心境になっているかもしれませんね。私もこの曲を弾いている時は、そんな気分になってる感じもします。
でもやはり、秋が待ち遠しいかな。

posted by yoko at 23:31| 京都 ☔| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月26日

『モーツァルト頌』

月曜はピアニストの内藤晃さんが久々に関西に来られたので、レッスンを受けました。昨年内藤晃さんのモーツァルトを聴いてからは、繊細で美しいモーツァルトを弾きたいという思いがより強くなっています。

今、『モーツァルト頌』(吉田秀和・高橋英郎編/白水社)という本を読んでいますが、タイトルの「頌」というのはあまり見かけない言葉だなと思って調べると、ほめたたえるという意味の言葉で「大地讃頌」の「頌」なんですね。
これが結構すごい本で、著名な作曲家、詩人、作家、哲学者、画家、音楽評論家など総勢210人の人がモーツァルトについて述べているのです。それぞれが言葉をつくしてモーツァルトのすごさを語っているのですが、感動的な文章がたくさんあって(愛あふれて涙誘うものも)、どれか引用しようと思うのですが、絞れないという感じです。私がなぜモーツァルトに惹かれるのかという理由がさらに補強されていく感じです。500ページ以上あって、じっくり全部は読めていませんが(でもかなり読みました!)、とりあえず「そうそう」と強くうなづけたもののうちのひとつを引用したいと思います。

(前半省略)
「私はモーツァルトに寄せる記念文を書き記したいと思う。―ところでこのすばらしい巨匠がそのようなものを必要とするだろうか?―彼の作品を学ぶことのできる人、あるいはそれを聴く機会だけでももてる人のすべてにとっては、たしかにそれは不要であろう。しかし、この巨匠をその全き深みにおいてとらえる人、彼の神的なハーモニーを聴くことによって、みずからの高揚と幸福を感じる人―こうした人は同時に、すでに昇天した貴重な友のことのように、彼について語り彼について語られるのを聞く欲求を感じているのではないだろうか?」(ヨハン・ペーター・リューザー/ドイツの文人、画家、音楽家)

はい、感じています(笑)。私がこの本を感動しながら読んでいるのがまさにその証。

もうひとつ短いものを。

「死の床のショパンが、友人たちに言った、「みんなで何か演奏をしてくれないか。君たちはその間私のことを考え、私は君たちの演奏をきくことにしよう!」と。
チェリストのオーギュスト・フランショームが「じゃ、君のソナタを弾こう」というと、ショパン「そりゃ、いけない。ほんとうの音楽を弾いてくれたまえ。モーツァルトの音楽を!」

まだまだご紹介したいものがあります。こんな本はやはり珍しい。


posted by yoko at 00:07| 京都 ☔| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月18日

『Greensleeves グリーンスリーヴス』

以前、オカリナとのデュオ用に編曲したものをソロ用に編曲しなおしました。
ネットで調べると『グリーンスリーヴス』は16世紀後半頃によく歌われていたイングランドの最も古い民謡ということですが、誰もがどこかで聴いたことのある曲ではないでしょうか? 何百年と歌い継がれている歌なんですね。バロックよりも古い! 作者も不詳で、もともとちゃんとした楽譜も存在しないのでしょう。メロディも楽譜によって多少違ったりする。
16世紀後半というと、音楽ではルネサンスの最後の頃。だからこの曲に教会旋法が使われていてもそれはごく自然なことだったのかもしれませんね。


posted by yoko at 23:52| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月17日

シェーンベルクの『作曲の基礎技法』より

以前パラパラと読んだアルノルト・シェーンベルクの『作曲の基礎技法』という本の中で、気になったところをメモしていました。

「器楽曲のメロディー」という項の中で
「器楽曲のメロディーの自由もまた、楽器のさまざまな技術上の限界によって制限を受ける。こうした限界は、声楽曲の限界とは性質も程度もちがうのであるが、音域についてはとくにちがう。それにもかかわらず、器楽のメロディーも、人間わざ以上の声を必要とするにしても、歌えるようにつくるの理想である。」

また、「楽段のはじめ方」という項では、ロマン・ロランの『過去の国への音楽の旅』の中のマッテゾン(ドイツの音楽理論家)の言葉の引用があります。
「音楽家がいやしくも美しいメロディーを書こうと思ったなら、テーマが「どことなく誰でもがすでに知っているようなものをもつ」ようにしなければならぬ、」

ここに書いてあったからに関わらず、どちらも意識しています。

「どことなく誰でもがすでに知っているようなもの」とは、調性であったり、カデンツであったり、ゼクエンツであったり、理論は知らなくても音楽を聴いていく中で知らず知らず誰にでも記憶されているような要素のことかなと思ったりします。無調や12音音階のような音楽では、専門家以外の人にとってはどの部分も聴いたことがないような感じと同時にとっつきにくい感じを与えるのだろうと思います。

私自身は自分の中におこってくる歌を曲にしているので、自分が鼻歌で歌える(笑)というのが基本です。ピアノだから音域は広いけれど、アクロバティックで歌えないような歌は今のところ生じてこないですね。

自分自身が弾いてて楽しく、いいなと思えて、聴く人に親しみをもっていただきたいな、という思いで取り組んでいます。



posted by yoko at 23:21| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月02日

ランチタイムコンサート

今日は茨木市の生涯学習センターきらめきのランチタイムコンサートで、オカリナKさんと演奏してきました。ランチタイム(12時から13時まで)ですが、ランチを食べながらというわけではなく、ただお昼ご飯時ということです(笑)。

コンサート会場は吹き抜けのエントランスホールで、音が良い具合に広がってなかなかいい響きでした。ここのグランドピアノは亡くなられたある方の寄贈ピアノで、状態も良く、このように生かされるのは素晴らしいことだと思います。


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posted by yoko at 23:18| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする