2015年09月30日

ピアノで歌う

しばらくショパンは弾いてなかったのですが、最近ショパン気分です。ノクターンやプレリュードなどの中から何曲か弾いていますが、以前よりいっそう曲の中の歌を感じて、弾いたことのある曲をもっと「歌いたい」気持ちで弾いています。

モーツァルトもショパンも「歌う」ことが大切であると言っていた作曲家です。ショパンはモーツァルトのように自分が書いた文章をあまり残していないようで、『弟子から見たショパン』はとても貴重な資料だと思いますが、この本の中に、ピアノを使って歌うことをたびたびレッスンで言われたという弟子たちの証言があります。
少し引用します。

「ショパンが(わたしの勉強について)尋ねましたので、わたしは歌を聴くのが何より役に立ちました、と答えました:「それは結構なことです。そもそも音楽は歌であるべきなのです」と、彼は教えてくれました。ショパンの指にかかると、ピアノはほんとうに様々な歌を歌うのでした。」(匿名希望のスコットランド女性/ハデン)

「ショパンはレッスンをしているときも、「指を使って歌うのですよ!」と、いつも言っていました。」(グレッチ/クレヴィンク)

「ショパンが弾くと、フレーズはみな歌のように響きました。澄み切った音色に耳を傾けていると、音符が音節で小節が言葉となって、個々のフレーズが思想を表現しているように思われてくるのです。彼の演奏は、大言壮語のまったくない、簡潔で気品のある朗読のようなものでした。(ミクリ/コチャルスキ)

また、「(ショパンの曲を演奏するには)今弾いた音を、最後の瞬間にまで響かせて次の音につなげることです。とにかく絶対に誇張してはいけません。」(クールティ/アゲタン)

ショパンはモーツァルトを「神」と言っていたと、この本か別の本かどこかで見かけました(この本だけでも分厚くて一度見失ったらどこに書いてあったっけ?と探すのも一苦労)。
私はこの二人の作曲家に、誇張を嫌うという点や歌うことを大切にしている点など共通性を感じています。

ピアノを使って「歌うこと」は本当に楽しいことです。あとはそれが人に伝わるよう、よりよい歌をめざし続けます。



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2015年09月24日

和と洋の芸術

今日は久々に家族3人で出かけました。
まずは京都市美術館へ。『ルーブル美術館展』は次の日曜日までなので、連休が明けるのを待って行ってみると、ものすごーい人、人、人……。連休を避ければ人も少ないだろうと思った人が多すぎたのかも(笑)。チケット買うのに大行列。入ってからも大混雑。それでもほぼ全作品ちゃんと見てきました。
今回のテーマは「日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」でした。まるで写真のように写実的に描かれているものが多く、当時人々がどのような暮らしをしていたのか知るのに資料的な価値も高いのだろうなと思いました。1500年代から1800年代頃までの作品が多く、このあたりの時代に後世名を残す多くの作曲家たちも活動していたのだなと思いをはせました。

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その後一服して、美術館より少し南に歩き、何年かぶりに青蓮院へ。門の前にある大クスはやはりすごい。圧倒的な存在感です。今日は小雨が降っていましたが、庭は雨の日が美しい。緑が洗われて鮮やかな色になる。こちらの庭は室町時代につくられたと伝えられているらしい。

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美術館では何百年前に描かれて額縁に入れ大切に保管されている芸術作品を鑑賞し、青蓮院では何百年前に作られ、人が管理をする中、植物の成長や経年の変化を味わいとし変化し続ける「庭」という芸術作品を目だけでなく、耳や鼻や肌で感受しました。

同じ日に和と洋の全く違う芸術作品を味わって、ぜいたくな思いをしました。



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2015年09月19日

耳は大切

今日、近くの保育所の見える所を通りかかったらスピーカーから大きな音楽が流れていました。昨年までそこにいらっしゃったベテランの先生とは子どもと音楽や耳のことで大切なことについてよく話をしました。先生は部屋の中ではむやみにCDなどからBGMを流さないようにしているとおっしゃっていました。積み木のあたる音や小さな音が聞こえるように。

別の幼稚園でも、運動会では大音量がスピーカーから流れるので近くに住んでいる人はかなりうるさいとおっしゃっていて、中にいる子供たちはもっと大きな音を聞いているんだろうなと、残念な気持ちになりました。

3月にやらせていただいた、「子育て講演会」でも話をしたのですが、子どもは4歳くらいまでは聴覚が優位(大人は視覚8、聴覚2くらいらしい)で耳が大人よりも敏感なのですね。大人でも大切にしなければ耳はどんどん劣化していく。中川雅文氏の『耳トレ!-こちら難聴・耳鳴り外来です。』に騒音と難聴の関係について書かれています。小さいうちか大きな音にさらされていると、ただでさえ視覚優位になっていくのに、音に対してどんどん鈍くなっていくのではと危惧しています。
音には、視覚から得られない情報もたくさんあるし、耳をすませば感性も磨かれます。耳の大切さについてなかなか気づかれないのではという思いで、「子育て講演会」でとりあげてみました。

そんな話を共有できる先生が、移動されたことは残念でした。今後も機会があればまたとりあげたいテーマです。

posted by yoko at 00:06| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月16日

ホテルで演奏会

今日は中之島のリーガロイヤルホテルで行われた、アンリミテッド音楽コンクールの入賞者演奏会でオカリナの波多野智香子さんの伴奏をしてきました。
私はコンクールには出てないのだけど、伴奏者の都合がつかず1ヶ月ほど前に急きょ頼まれました。私が伴奏したのはシェドヴィルのフルートソナタ第2番の第3・第4楽章です。この作曲家は今回初めて知りました。バロック時代の人です。波多野さんはトリプルオカリナを吹かれるので3オクターブ使え、フルートと同じ曲ができるのです。これ以外には無伴奏で「さくらさくら」を演奏されました。この曲はオカリナという楽器の特性と波多野さんの演奏に、より合っている感じがします。どこか尺八を思わせるようなムードもある。オカリナはもともと日本の楽器ではないけれど、日本の曲が合う感じがします。皆さんオカリナの音色にとても感動されていました。
他は高校生のヴァイオリンが二人。力のこもった演奏を聴かせてくれました。
食事とセットということもあり、あまり緊張感もなく和やかなムードの演奏会でした。


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2015年09月14日

「ピアノに合わせてあそぼう」

今日は月一回行っている近所の児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。
実は6月頃、忙しいという理由でそろそろやめようと思うと児童館と保育所の担当の方々に伝えると、想像以上に残念がってくださり、また想像以上に期待していただいていることもわかりました。その後、後任の方が見つかれば代わっていただくという話になり、一応お願いできそうな方も見つかったということでしたが、それでもできればなるべく来てほしいと言っていただき、忙しいのには変わりないのですが、やめようと思った気持ちもだんだんと揺らいできて、行かなくなるのも寂しいしやはりできる限り続けようという気持ちになりました。やはり続けさせてくださいと言うと、みなさん喜んでくださいました。

毎回、児童館と保育所で選ばれた曲をこちらで簡単にアレンジしたり、時には即興でやったりと私流でやっています。そして最後にプチコンサートということで、2曲ほど弾きます。以前はクラシックの小品ばかりでしたが、最近は自分の曲を聴いていただいています。
今日も、オリジナル曲を弾いている時に、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが音楽に合わせて体をゆっくり揺すっているのが視界に見えていて、うれしかったです。
少しでも皆さんに喜んでいただけるよう、私にできる音楽を提供していければと思います。


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2015年09月05日

ちょっと近江八幡まで

今日は夫と近江八幡の銅製品のアトリエまで行ってきました。たくさんの照明器具やポスト、取っ手など様々な商品が展示されています。銅は金属ですが、とても有機的な雰囲気で温かみがあります。鉄よりもソフトな感じですね。デザインも素敵なものがたくさんあって、引き寄せられてしばらく眺めていたい魅力をたたえていました。

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道中、琵琶湖畔で休憩しましたが、湖から吹いてくる風がさわやかで気持ちよかったです。かわいいツユクサなど野草も楽しめました。

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2015年09月04日

再び『モーツァルトの手紙』を読む

だいぶ前に途中まで読んでそのままになっていた『モーツァルトの手紙』(吉田秀和編訳/講談社学術文庫)をまた最初から読み返しています。
心の「師」(弟子にすると言われてないので(笑))の言葉だと思うと、この本は本当にエキサイティングです。読んでいるとまるでモーツァルトが生き生きとそこに存在しているような気がします。本人はまさか、後世自分の手紙が本になって多くの人に読まれるとは思ってなかったでしょうね。思ったこと、感じたことがたくさん詰まっています。そして、随所に音楽に対する思いや考えも書かれていて、本当に興味深い。

前回読んだ時、気になっていた箇所がようやく出てきました。モーツァルト21歳の11月、マンハイムで書いた手紙の一部を引用します。

「今日六時に大演奏会がありました。フレンツルがヴァイオリンで協奏曲をひくのをききましたが、ぼくはとても気に入りました。パパもご存知のように、ぼくはむずかしい技巧がそんなに好きじゃありません。ところが彼はむずかしいものをひいているが、人にはそのむずかしさがわからない。自分でもすぐまねできるような気がする。これこそ本当なのです。」

モーツァルトの価値観が感じられる文章で、印象に残っていたのです。モーツァルトに関する他の本からも、モーツァルトは華美なものや誇張やこれ見よがしなものが好きでないということを感じています。それはもちろん、モーツァルトの音楽からも感じられることで、そういう所がとても好きなんです。

作家ロマン・ロランも讃美したというモーツァルトの手紙。モーツァルトを知る、貴重な資料です。引き続き読み進めます。


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2015年09月02日

音楽と……

『フリッツ・イェーデの音楽教育』(小山英恵著、京都大学学術出版社)の中に以下のように書かれています。

「イェーデは、音楽、絵画、文学、宗教、哲学、数学といった専門分野が互いに関連なく存在することを批判する。それらは人間の内面において1つであり、「その破壊は、われわれが人間であることの切断を意味する」とした。イェーデは、これが1つであることの感覚は、学校によって破壊される前の「子どもの中に無意識に生きている」ものであるとも述べている。つまり、イェーデの言う「生」には人間が本来もつ内面の全体性という意味も含まれていた。」

フリッツ・イェーデは、20世紀初頭にドイツで活躍した音楽教育実践家ですが、彼の指摘した問題点は現代の日本でもあてはまるんだろうなと思います。教科や文系・理系といったような分類は、学校システムの中で植えつけられるもので、そのために本来は色々なものが関連していることに気づきにくくなるのかもしれません。

以前ピティナの記事で読んで感動したのですが、アメリカではほとんどの総合大学に音楽学科があり、また音楽を専門に学ぶ「音大」は少ない上にそこでは音楽以外の教科に力を入れていることを知り、イェーデの言う「人間の内面において1つ」である様々なことの関連が重要であることをよく理解した上での制度なんだなと思いました。(アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか?

実は私が音大受験をやめた理由のひとつが、音楽ばかりやることへの違和感(10代の感覚ですから思い違いもあったかもしれませんが)でした。私はそういうタイプだったんです。

それで今は、音楽が私を感動させるものとして、自分の表現手段として何より特別なものであるわけですが、その他のものへの興味も色々と持ち続けています。
自然や芸術や詩や美しいものからたくさんの感動を得ると、今度は自分が表現したいという意欲が芽生える感じですね。

夫の仕事を手伝って、インテリアのあれこれを考えるのも楽しいものです。この分野も私が自分の家も含め、長年積極的に関わってきたことの一つです。
音楽抜きの人生は考えられませんが(生きてる限りピアノは弾きたい!)、その他多くのものも人生を豊かにしてくれているのだと思います。

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夫の絵をたくさん飾っているギャラリー兼打ち合わせ室
posted by yoko at 23:49| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする