2015年08月17日

シェーンベルクの『作曲の基礎技法』より

以前パラパラと読んだアルノルト・シェーンベルクの『作曲の基礎技法』という本の中で、気になったところをメモしていました。

「器楽曲のメロディー」という項の中で
「器楽曲のメロディーの自由もまた、楽器のさまざまな技術上の限界によって制限を受ける。こうした限界は、声楽曲の限界とは性質も程度もちがうのであるが、音域についてはとくにちがう。それにもかかわらず、器楽のメロディーも、人間わざ以上の声を必要とするにしても、歌えるようにつくるの理想である。」

また、「楽段のはじめ方」という項では、ロマン・ロランの『過去の国への音楽の旅』の中のマッテゾン(ドイツの音楽理論家)の言葉の引用があります。
「音楽家がいやしくも美しいメロディーを書こうと思ったなら、テーマが「どことなく誰でもがすでに知っているようなものをもつ」ようにしなければならぬ、」

ここに書いてあったからに関わらず、どちらも意識しています。

「どことなく誰でもがすでに知っているようなもの」とは、調性であったり、カデンツであったり、ゼクエンツであったり、理論は知らなくても音楽を聴いていく中で知らず知らず誰にでも記憶されているような要素のことかなと思ったりします。無調や12音音階のような音楽では、専門家以外の人にとってはどの部分も聴いたことがないような感じと同時にとっつきにくい感じを与えるのだろうと思います。

私自身は自分の中におこってくる歌を曲にしているので、自分が鼻歌で歌える(笑)というのが基本です。ピアノだから音域は広いけれど、アクロバティックで歌えないような歌は今のところ生じてこないですね。

自分自身が弾いてて楽しく、いいなと思えて、聴く人に親しみをもっていただきたいな、という思いで取り組んでいます。



posted by yoko at 23:21| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする