2016年01月15日

「生」とは

「ゆ〜るりぶろぐ」でも書いていたと思うし、このブログもどこかで書いた気もしますが(記事が多くなるとだんだん把握できなくなる)、また『フリッツ・イェーデの音楽教育』-「生」と音楽の結びつくところ(小山英恵著/京都大学学術出版会)の中から引用します。

「イェーデにとって「生」とは、ニーチェの言う「生」と同様に、すでに硬直した知識や物質的なものではなく内面的なものの絶えざる生成であり、機械的なものではなく有機的なものであったといえる。(中略)
また、イェーデにとってこの「生」とは、各専門分野への個別化と対極にあるものを意味した。イェーデは、音楽、絵画、文学、宗教、哲学、数学といった専門分野が互いに関連なく存在することを批判する。それらは人間の内面において1つであり、「その破壊は、われわれが人間であることの切断を意味する」とした。イェーデは、これらが1つであることの感覚は、学校によって切断される前の「子どもの中に無意識に生きている」ものであると述べている。つまりイェーデの言う「生」には、人間が本来もつ内面の全体性という意味も含まれていた。」

「フリッツ・イェーデは、20世紀初頭のドイツにおいて活躍した音楽教育実践家であり、青少年音楽運動の指導者」(引用)ですが、時代も国も違っても彼の指摘する問題は現代日本でもあてはまりそうですね。

これを読んだ時、幸い私はもしかしたら学校によって切断されなかったのかなと思いました。音楽が一番ですが、その他にも色々興味があります。内面でつながっているという認識もあります。そのように認識できるようになったのはわりと最近ですが。
例えば、モーツァルト、茶花、いわさきちひろ、が好きなことは私の中の価値観によってつながっています。

音楽家の本などに、表現力を高めるには音楽ばかりでなく、他の芸術に触れたり、本を読んだり、色々なことを経験することが大切であると書かれていたりします。でも、私にとってはそれは、音楽の表現のためにという意識ではなく、ごく自然なことです。好奇心のあるものはなんでも自分の中でつながっているから。

まずは私という「個」があって、色々なことを感じて、考えて、たまたま音楽が大好きで、それが私の表現手段として一番なのだと思っています。


posted by yoko at 23:54| 京都 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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