2016年01月24日

音楽はどうあるべきか?

ツイッターでフォローしているオランダのピアニスト(Improvisation(即興演奏)を主にされているようです。)が先日次のようなことをつぶやきました(英語で)。

「音楽は美しくなくてもいいが、意味がなければならない」

彼の即興曲は美しいです。彼の曲を聴くまでは、即興といえばジャズか、よくわからない演奏などというイメージだったので、最初聴いた時は驚きました。

上のつぶやきが気になったので、リツイートする際次のようなことをコメントしました。

「普通の聴衆は美しさを求めるかもしれない。専門家や評論家は意味を求めるかもしれない」

そうすると、また返事がきました。

「聴衆に合わせて音楽を作るべきか?」

実はこれはけっこう本質的な課題だなと前から思っているし、どの時代の音楽家たちもこのことについて考えていたのではと思います。
ツイッターのような短い分の中で(英語だとなおさら書けることが限られる)、この難しい質問に対してどのように答えるかしばらく考えました。

答えになっているかどうかわかりませんが、次のように答えました。

「私に関して言えば、私の音楽は私自身であり、聴衆によって変わることはないです。聴衆の反応を感じた時、私は自分の音楽の意味を見つける」

短く書くために、このようにまとめましたが、彼は、そんな個人的な話ではなく、もっと音楽とはどうあるべきかということを最初に投げかけていたのだとは思います。

いつの時代も最先端を行く音楽家は、新しいものを作る使命を感じていたのだと思います。それは今も同じでしょう。
でも、作曲家の吉松隆さんも、音楽は行きつくとこまで行ったと著書に書かれていました。音楽をどんどん壊していって、ついにばらばらになってしまったというようなことを。

芸術はいつも新しいものを求めていかなければならない性質があるのかもしれません。

私にとって、私のできる音楽は人と共有するためのものと思っています。本来の音楽の役割でしょうかね。コミュミケーションするための音楽。
日々、過去の音楽家の作品に触れ、芸術の素晴らしさを実感しながら、人に聴いていただくための音楽に取り組んでいるという感じです。

このやりとりを見てかどうかわかりませんが、同じピアニストをフォローしているスイスのヴァイオリニストがフォローしてくれました。ほとんど日本語で書いてるんですけど、怪しい英語も混ぜながら書いていくつもりです。まだまだフォロワーは少ないんですけど💦。

posted by yoko at 23:59| 京都 ☀| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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