2017年02月09日

和声について少しだけ

先週、ダルクローズリトミック京都研究会の月例会に参加してきました。レッスンを受けられているのは、ピアノの先生(多分)やリトミックの先生などで、多分私のようなものは私だけ? 内容はリトミック(大人向け)の他、ソルフェージュ、即興、鍵盤和声などですが、先週のレッスンで和声について改めて考えるようになりました。

ネットで色々と検索していてたまたま『即興演奏指導法の研究』(島根大学教育学部/小林昭三著)という論文を見つけました。最初の方に、中田喜直の本からの引用があります。そこを読んで、ん? 確か私が持っている中田喜直の本に書いてあったような?と思って確かめてみたらやはりそうでした。
『実用和声学―旋律に美しい和音をつけるために―』という本です。改めて同じあたりを引用します。

「もちろん和声学もピアノを使って勉強するが、和声学はピアノのためのものではないので具合が悪い。和声学はその名の通り、和音の中の一つ一つの音を独立した声部として扱い、その声部の扱いを厳格に規定したものであるから、混声合唱か、異なる楽器の四重奏でやらなければ本当に理解できないわけである。
平行八度や平行五度の禁則は、そのようにすればある程度理由がわかるが、ピアノで弾いたのでは悪く聞こえない場合が多いから、例えば下記の楽譜で、点線で示したところが悪いということはまったく無意味になってしまう。ピアノにはピアノの弾き方があり、ピアノの響きがあるのだから、ピアノを使うなら和声学ではなく、和音学の方が必要なのである。」

鍵盤和声は和音学ということになるかな?
また、別の論文『鍵盤和声における転調の実際』(千葉大学教育学部/紙屋信義著)には、C・ケックランの引用があります。

「深い音楽的情緒を支配するのは特に転調である。それは常に最後の勝利ともいうべき音楽的感覚に従わなければならない」

うん、「最後の勝利ともいうべき音楽的感覚」ってすばらしいなと、この引用元の本を見てみると『和声の変遷』とあり、この本は私の本棚にもあるじゃないですか! それで該当ページをめくってみるとアンダーラインが引いてありました。そこを読んだ時、いいと思ってたんでしょう。忘れてましたが(笑)。

まあ、とにかく実際の音を聴いて、それがいいかどうか判断する「耳」こそが大事だというのが、私の興味を持つ和声の本には大体書かれています。読みたいことろばかりに目がいくとも言えます。

和声に対する考え方でとても共感を覚えたある作曲家のブログ記事があります。
『和声学習に想う・・・・「見えないカデンツ」』(阿部俊祐さん)

「演奏活動が円熟してくると次第に、実体をもった「何か」の音楽感覚が知らず知らずのうちに自分の中にいることに気づき始めると思います。それがきっと「見えないカデンツ」です。」(引用)

私が共感を覚えたのは、演奏活動は円熟してませんが(笑)、年齢と共に経験値(音楽やそれ以外も)も多少上がってきた後の、自然発生的な創作の中に「見えないカデンツ」的なものを見つけたから。私の乏しい机上の音楽理論知識よりも、過去の素晴らしい作品から実践を経て得てきたもの(こちらも全然十分ではないのだけど、音楽の秩序のようなものや感動!)が創作につながったんだと思います(たいした作品じゃないですがね💦)。
それから1年と何か月かたって、今までブログでもちょこちょこ書いてる即興演奏への欲求というのが少し出てきて、もともと別の理由で行きはじめたダルクローズリトミックの月例会に参加している中で、自分に必要なものが新たに見えてきた段階です。自分の納得いく形での創作と即興演奏のための和声の勉強です。手元に色々な本もありますが、何のため?という目的がわりとはっきりしてきたので、以前目を通した時とは違ったことが吸収できるかもしれません。また道なき道を自分の中の要求に従って行きます!

posted by yoko at 23:48| 京都 ☔| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする