2017年03月27日

春休みの親子イベントで

25日は、パルヨン(京都で暮らす外国人女性と彼女たちのサポートをしようとする日本人の会です)のおしゃべりの会(プフー)でした。以前も一度ブログに書きましたが、もともとこの会に参加したきっかけは、一緒に音楽しませんか?という提案でした。それで、一度みなさんで歌う機会を作っていただいたのですが、もともとそれはこの会の目的ではないし、今後そういう機会があるかどうかはわかりません。でも、パルヨンには色々な人がやってきて、出会う機会があります。

26日の母子会の春休みイベント(山科の青少年活動センター)は、パルヨンで出会った人が誘ってくださいました。
ご要望いただいた、クラシックの曲と歌(伴奏)をやりました。参加者は親子以外に関係者など、全部で15名ほど?
プログラムは、誰でも知っていそうな有名なクラシック曲の最初のきりのいいとこまで弾いて、あててもらうクイズ。そして簡単な、曲と作曲家の説明など。それから後半は皆で歌うという内容。
誰でも知ってそうなと思って選曲したけれど、「トロイメライ」や「トルコ行進曲」など、知られてなかった。「楽興の時」などは論外でした。
お子さんは4歳から中学生まででしたが、小さい子には難しい内容だったでしょう。それでも、3月初めの子育て講演会のアンケートでもクラシック音楽に対するご要望があり、お子さんにクラシックの生演奏を聴かせたいという親御さんは少なからずいらっしゃるのだなと思っています。もっともっと上手で素晴らしい演奏が世の中に山ほどあっても、なかなか誰でもどこでも聴けるもんじゃないから、私のようなものでも弾く機会があるんでしょう。ありがたいことです。近所で気楽に聴ける、というのがミソかな?

いつも行っている児童館のイベントでは、0歳から2歳くらいまでのお子さんが多いので、当たり前ですがなかなか普通のコミュニケーションはとれませんが、今日は、たとえば「学校でどんな楽器を使ったことある?」と聞くと、「カスタネット」「リコーダー」という返事が返ってきて、話をしながらすすめられたから、また違った楽しみがありました。

プログラムが終わった後、ピアノのペダルへの質問があったので説明していて、そうだと思って、子どもたちにピアノの中を見てもらいました。小さな子は椅子にのって。「ここに弦があって、こうやって音が出るよ」と説明すると、子どもたちは鍵盤をならして確かめていました。4歳の子も! この時が一番子どもたちが興味を示していたような気がします。純粋な好奇心を間近で感じて、うれしかった。楽しいイベントでした。

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posted by yoko at 01:04| 京都 ☔| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月25日

音楽は抽象的ですよね

今晩(24日のこと。今は25日1時すぎ、眠い!)は、いるか喫茶バーでBGM演奏をしてきました。今回は編曲ものなしで、20曲弱ほどオリジナル。
そのうち、わりと新しい3曲はまだタイトルが決まってなくて(とりあえず番号をつけてます)、いつものことですが、困ってます。以前も書きましたが、タイトルを決めてから曲を書くことはあまりないので、あとから決めるのですが、この抽象的なものにタイトルをつけるのがとても難しいといつも感じます。音楽を言葉に置き換えるのは無理があると基本的には思っています。それでも、タイトルがないと自分でもどれがどれだかわかりにくい。なんとか、名前をつけてしまえばだんだんふさわしく思えてくる。そういう理由で今のところどれもタイトルをつけています。
来週は久々に録音をするので、それまでにはなんとか決めたいのですが💦

今、『西洋音楽史』(岡田暁生著/中公新書)という本を図書館で借りて読んでいます。ダルクローズリトミックの先生に教えていただいた本です。このタイトルでは自ら手に取ることはないと思いますが(平凡なので)、面白そうだなと思って借りてみました。まだ途中ですが、やはり独特の視点が面白いです。色々勉強になるので資料としてまた買ってもいいかなと思っています。

ロマン派のところで、次のような箇所があります。
「十九世紀に入って、とりわけドイツ・ロマン派の詩人たちの間で、純粋器楽曲崇拝とでもいうべきものが生じはじめる。彼らは芸術の中にあらゆる現実=具象を越えたものを求めてやまなかった。(中略)
諸芸術の中でただ音楽だけが、それも器楽曲だけが、具象界を超越することができる。その漠たる抽象性のゆえに無限に想像力の翼をはばたかせることができるのだ。」

まあ、とにかく言葉を使わない音楽は抽象的であることに関する記述を見つけて、そうそうと思っているのです。

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posted by yoko at 01:28| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

ミクソリディアを楽しみました

先週の金曜日は、ダルクローズ・リトミック京都研究会の月例会でした。毎回、鍵盤和声・リトミック・ソルフェージュ・即興演奏と4時間ほどほとんど休みなしで行われますが、今回特におもしろかったのは、中世の教会旋法(今回はミクソリディア)を使った曲を聴きながら、何度も出てくるフレーズを覚えて一緒に歌ってみたり、また即席で作ったミクソリディアのメロディをコーラス部分として、その間をソロ回しみたいに順番に即興で歌っていく(コーラス→ソロ→コーラス→ソロ・・・、しかも各自タンバリンや太鼓をならしながら)というものです。
教会旋法は、もとは西洋音楽が長調(長旋法)と短調(短旋法)の二つになる前の、いくつかの旋法です。ミクソリディアはソから1オクターブ上のソまで白鍵のみを弾けばその響きを確かめられます。教会旋法も長調的な響き、短調的な響きがあって、ミクソリディアは長調的な響きです。その前はドリアでしたが、ドリアは短調的な響き。
皆で楽器をならしながら、コーラスとソロ回しで歌っていると、民族音楽感がすごいです。その場で作った曲でもどこかの民族音楽の雰囲気たっぷりです。めちゃ楽しかった。

ピアノ即興でもミクソリディアでトライしましたが、これもなかなか面白かったです。
実は自分の曲の中にも教会旋法的なところは出てきますが、今回何より、皆で輪になって楽器ならして歌って、その魅力を再認識したのでした。

ミクソリディアをグループで体験したあと、『音楽教育における教会旋法を用いた即興の意義』(岩手大学教育学部/中地雅之さん著)という論文をネットで見つけました。

教会旋法の特徴として、
@多様な音楽様式への適応
A旋律的構成の自由と多様性
B和声的な側面において極めて自由
C調性(機能和声)と無調性の両者の性質を持っている
D異国や非現実を想起させ、多様なイメージやファンタジーを喚起する
以上、5点があげられています。
なぜ教会旋法が色々な可能性を秘めているか、わかるような気がします。

「即興は、ある音楽様式における取り決めや習慣にしたがって行われる表現活動であり、単なるでたらめな音の羅列とは一線を画する」(引用)
教会旋法はかなり自由であるけど、調性感もあるから、即興の要素として使えるというわけですね。

また以下のように書かれています。
「教会旋法は機能和声が支配的であった約300年間の芸術音楽を除いた西洋音楽やジャズ、非ヨーロッパ圏の民俗音楽に用いられてきた音組織である。我が国の音楽科教育は、皮肉にも教会旋法が用いられなかったこのわずかな期間の音楽―いわゆるバロックからロマン派までのクラシック音楽―を教材の中心に置いてきた。」

バロックからロマン派までの音楽が一般にはクラシック音楽として親しまれていると思いますが、教会旋法はこの間一旦中断した後(ショパンのマズルカなどには使われているけれど)、サティ、ドビュッシー、ラベルなどの音楽家たちによりまた復活するわけですね。
教会旋法はそれだけ聞くと、あまりなじみのない感じがするかもしれませんが、案外色々な曲に部分的に取り入れられていて誰もが知らず知らず聞ると思います。ふと、色調が変わるような不思議な雰囲気をかもしだしますね。
今回、改めて教会旋法の可能性を感じ、考えました。まだまだ勉強は続きます。


posted by yoko at 22:50| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月06日

子育て講演会「リズムを感じよう、リズムであそぼう」

今日は聚楽保育所で、「子育て講演会」をやらせていただきました。参加者は親子23組(+保育所と児童館の先生と私で4人)で部屋はかなりいっぱいでした。お子さんは大体0歳〜2歳くらいまで?
色々な形でお知らせされていたようですが、ある所で10:00開始のところ10:30となっていたようで遅れてこられた方たちもいらっしゃって残念がられていました。
今回のタイトルは「リズムを感じよう、リズムであそぼう」で、内容は大体以下の通り。

○お話
・赤ちゃんの聴覚について
・音が赤ちゃんに与える影響
・赤ちゃんとリズム

○今回のテーマに合わせ、バロック時代の舞曲(メヌエット、ポロネーズ、ジグ、ガヴォット)を紹介、演奏

○保育所さんからのご提案でパネルシアター(ひな祭りの曲で)

○即興わらべうた(ちょっと事情が変わって、説明のみとなりました)

○からだを使った音楽遊び
・If you're happy
・Head, shoulders, knees and toes
・Make a circle

○マラカスを使って歌う
・おもちゃのチャチャチャ
・森のくまさん

後半は皆さんに参加していただくということもあり、なかなかにぎやかに盛り上がっていたと思います。
またピアノに触りに来る子、体をゆすっている子もいました。

今回、一度みなさんの感想なども知りたいと思い、急きょ、朝アンケートを作りました。
全員回答してくださり、興味深く読ませていただきました。
今回初めて英語の歌遊びをやってみましたが、思っていた以上に好評でした。英語は音楽と相性がいいと思うので、遊び感覚でやってみて、楽しんでいただけて何よりです。
その他の内容についてもそれぞれ興味を持ってくださったり、よかったと言われた方たちがいらっしゃいました。また、もっとこうしてほしいなどのご要望もいくつかありました。
アンケートって大切ですね。色々な感想、ご要望が聞けてよかったです。また今後の活動に生かしていけたらと思います。

講演会終了後、質問に来られた方がいらっしゃって、子どもの音楽への接し方についてでしたが、そうやって関心を持っておられる方とお話できるのも、うれしいことです。

さて、今月はもう一つ、親子向けイベントがあります。今度は小学生。また喜んでいただけるようがんばります!


posted by yoko at 14:34| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

和声について少しだけ

先週、ダルクローズリトミック京都研究会の月例会に参加してきました。レッスンを受けられているのは、ピアノの先生(多分)やリトミックの先生などで、多分私のようなものは私だけ? 内容はリトミック(大人向け)の他、ソルフェージュ、即興、鍵盤和声などですが、先週のレッスンで和声について改めて考えるようになりました。

ネットで色々と検索していてたまたま『即興演奏指導法の研究』(島根大学教育学部/小林昭三著)という論文を見つけました。最初の方に、中田喜直の本からの引用があります。そこを読んで、ん? 確か私が持っている中田喜直の本に書いてあったような?と思って確かめてみたらやはりそうでした。
『実用和声学―旋律に美しい和音をつけるために―』という本です。改めて同じあたりを引用します。

「もちろん和声学もピアノを使って勉強するが、和声学はピアノのためのものではないので具合が悪い。和声学はその名の通り、和音の中の一つ一つの音を独立した声部として扱い、その声部の扱いを厳格に規定したものであるから、混声合唱か、異なる楽器の四重奏でやらなければ本当に理解できないわけである。
平行八度や平行五度の禁則は、そのようにすればある程度理由がわかるが、ピアノで弾いたのでは悪く聞こえない場合が多いから、例えば下記の楽譜で、点線で示したところが悪いということはまったく無意味になってしまう。ピアノにはピアノの弾き方があり、ピアノの響きがあるのだから、ピアノを使うなら和声学ではなく、和音学の方が必要なのである。」

鍵盤和声は和音学ということになるかな?
また、別の論文『鍵盤和声における転調の実際』(千葉大学教育学部/紙屋信義著)には、C・ケックランの引用があります。

「深い音楽的情緒を支配するのは特に転調である。それは常に最後の勝利ともいうべき音楽的感覚に従わなければならない」

うん、「最後の勝利ともいうべき音楽的感覚」ってすばらしいなと、この引用元の本を見てみると『和声の変遷』とあり、この本は私の本棚にもあるじゃないですか! それで該当ページをめくってみるとアンダーラインが引いてありました。そこを読んだ時、いいと思ってたんでしょう。忘れてましたが(笑)。

まあ、とにかく実際の音を聴いて、それがいいかどうか判断する「耳」こそが大事だというのが、私の興味を持つ和声の本には大体書かれています。読みたいことろばかりに目がいくとも言えます。

和声に対する考え方でとても共感を覚えたある作曲家のブログ記事があります。
『和声学習に想う・・・・「見えないカデンツ」』(阿部俊祐さん)

「演奏活動が円熟してくると次第に、実体をもった「何か」の音楽感覚が知らず知らずのうちに自分の中にいることに気づき始めると思います。それがきっと「見えないカデンツ」です。」(引用)

私が共感を覚えたのは、演奏活動は円熟してませんが(笑)、年齢と共に経験値(音楽やそれ以外も)も多少上がってきた後の、自然発生的な創作の中に「見えないカデンツ」的なものを見つけたから。私の乏しい机上の音楽理論知識よりも、過去の素晴らしい作品から実践を経て得てきたもの(こちらも全然十分ではないのだけど、音楽の秩序のようなものや感動!)が創作につながったんだと思います(たいした作品じゃないですがね💦)。
それから1年と何か月かたって、今までブログでもちょこちょこ書いてる即興演奏への欲求というのが少し出てきて、もともと別の理由で行きはじめたダルクローズリトミックの月例会に参加している中で、自分に必要なものが新たに見えてきた段階です。自分の納得いく形での創作と即興演奏のための和声の勉強です。手元に色々な本もありますが、何のため?という目的がわりとはっきりしてきたので、以前目を通した時とは違ったことが吸収できるかもしれません。また道なき道を自分の中の要求に従って行きます!

posted by yoko at 23:48| 京都 ☔| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月22日

「身体による表現」

今日は京都音楽院で行われたクリエィティブリトミック音楽指導研究のうちの、「身体による表現」(ボディクリエーションコース)に参加してきました。
ちらしによると、「音楽や表現を体験的に理解し、模倣や即興、創作の遊びを通した創造的な音楽活動の提案を実践していきます」などと書かれていますが、どんな内容なのかいまいちわからないまま、でも今私が気になっていることに近い感じもして、トライしてみることにしました。

講師の井上浩子さんは、音楽教育家のオルフやダルクローズの考えを紹介しつつ、体を使ってできる表現について、様々な方法で指導してくださいました。先生はヨーロッパやアメリカで学んでこられていますが、向こうでは音楽家はみんなダンスを学ぶということです。体を使ってリズム感覚を習得するという考えのようです。単なるリズム感覚ではなく、豊かなリズム感覚と感じました。

今日はたくさん体を動かしましたが(音楽ありとなしの両方)、その際どの部位が働いているのかということに意識を向けるということをたくさんやりました。その中で「筋感覚」のお話もありました。
筋感覚については以前読んだ『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』で知り、その話をしました。この本では、筋感覚は五感の次にくる第六感と位置づけていています。ピアノを弾く時どこの関節、骨、筋肉が関係しているのか、そういったことを意識することによって、弾き方が変わってくる。今日のお話と重なる部分があります。
体の仕組みを知りむだな力を使わず動かすという物理的な側面と、音楽を感じて体で表現するという芸術的な側面の両方について改めて考え、また体を動かすことと心理面との関係を認識するなど、とても有意義なワークショップでした。

最近取り組んでいることは、私の音楽そのものと、みんなと共有するための音楽活動どちらにも生かしていけるものじゃないかなと感じています。


posted by yoko at 23:40| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月18日

どこかの誰かさんが……

YouTube以外にSoundcloudという音楽サイトに自分の作品をアップしていますが、フォローされたらフォローするくらいの感じで自分からアプローチしてないので知られこともあまりないのかなと思ってますが、昨日ふとある人がリストを作っていて、私の曲が1曲入っていることに気づきました。
なんとそのリスト名が
"Neo Classical Artist to Watch - 2017"! そんなあ〜💕(笑)



ありがたいことです。この方は私よりももっと積極的にSoundcloudを活用されているので、私の曲もこれまでより多くの人に聴いていただける機会が増えると思います。リストにはけた違いにたくさん再生されている素敵な曲がたくさんあって(私のが少なすぎ)、興味深く聴かせてもらっています。私浮いてない?とか思いながら(笑)💦。
私のことを知らない人が音楽だけを聴いて選んでくれたということはうれしいことです。私は決して自分に自信があるわけじゃないけど、ただ素直にうれしいです。

今次の録音に向けて準備中ですが、あれこれ取り組んでいるので時間がかかってしまってます。今回のことでまたさらにやる気でてるので(ほんと単純だから)、早くスタジオ行けるようにしたいです。



posted by yoko at 00:45| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月09日

「即興」について考える

今年最初のブログです。今年もよろしくお願いします。
先週の金曜日、ダルクローズ・リトミック京都研究会の月例会に参加しました。田中弥生先生はダルクローズ国際ライセンスをお持ちで、内容はリトミック、ソルフェージュ、即興、鍵盤和声、指導法と盛りだくさんでした。全体を通して即興の要素が多く(リズム、歌、ピアノ)、またグループで行うのでリズムのかけあいをしたり、メロディーを紡いだり、音楽を通してのコミュニケーションを何度も意識し、興味深かったです。

以前ブログで一部ご紹介した『フリープレイ―人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』(スティーブン・ナハマノヴィッチ著/フィルムアート社)は、まだ読んでる途中ですが、この本を読んでから「即興」(インプロヴィゼーション)とは広く創造を意味するものとしてとらえるようになりました。この本の中に「作曲とは、インプロヴィゼーションをゆっくりおこなうことである」というシェーンベルクの言葉が紹介されています。この本では音楽に限らず、生きていく上での「即興」(創造)の重要性を説いていると感じます。
ナハマノヴィッチはヴァイオリニスト、作曲家、詩人、教師、コンピューターアーティストということですが、コンピューターと人間の違いについてこんな記述があります。
「コンピューター演算は、AからBへ、BからCへ進む直線的プロセスであるのに対し、直観はむしろ、集中的な演算です。すべてのステップと変数は、一度に、いまの瞬間という中心の決定点に収斂します。」

AI(人工知能)の進歩が目覚ましい中で、やはり人間にしかできないことについて考えさせられます。人間の創造力によってなされることがそのうちの一つではと思います。

昨日たまたまのぞいた十字屋のワゴンで『おとなと子どものための即興音楽ゲーム』(リリ・フリーデマン著/音楽之友社)という本を見つけました。少し読んで著者にとても興味を持ちました(そして40%offで買いました!)。
訳者のまえがきに著者について次のようなことが書かれていました。
「私は音楽療法の勉強はしていません。療法的効果をねらってゲームを考案している訳ではないのです。ただ、私と一緒に一定の期間、こうしたゲームをやってきたおとなや子どもたちから、精神的ストレスが主な原因となる症状がやわらいできた、という話はよく聞かされました。私のいくつかのゲームによって、あるいは、参加者がお互いを認めながら同等のレベルでのパートナーシップの下で進めるというゲームの原則によって、ねらわずとも自己の内面の力が強められ、自身が変わっていくということは、私にも参加者の体験を見ていて確かなことです。」

確かに、先日のリズムやメロディ―や動きの即興は楽しいものでした。精神の解放という感じでしょうか! 音楽を感じてそれを自分の感覚で表現していく。その時に「即興」することで引きだされる可能性のようなものを感じました。普段から常に音楽で表現しているつもりでしたが、また「別の何かがある」という感じ。知らなかった自分?みたいな。
フリーデマンのゲームがどんなものかまだ見ていませんが、やり方はともかく、その結果もたらされたことが興味深いです。

もともとヴァイオリニストであるリリ・フリーデマンが即興演奏や指導を始めたきっかけについて書いてあります。
「いつだったか、ある音楽会議で音楽家たちが集まった時に、こんなことを言う人がいたのです。『こんなに何人もの音楽家が集まっているというのに、一緒に何も弾けやしない。ただ、楽譜が手元にないからって、こんなことでいいのかい?』この言葉は私に大きな衝撃を与えました。」

私はとりあえず自分が即興演奏をしたいといのではなく、創造という意味での即興の持つ可能性を探り、それをなるべく多くの人と共有したいと考えています。


posted by yoko at 12:40| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月31日

2016年の終りに

2016年も間もなく終わり。大晦日はいつも、一応主婦業もしているのでいくら手を抜いても普段よりはやることがあり、今日もお正月のための買い物(最低限ですが)などで時間をとられました。
元旦くらいは多少はいつもと違わないとなあと毎年めんどくさいなと思いながら、いかに簡単にちょっとお正月らしい雰囲気を出せるかを考えながらスーパーをうろうろしています。
そして大晦日でも毎年ピアノを弾きます。弾きたいから弾くだけ。今年は今作ってる曲が最後の曲になりました。まだ出来上がってないけど。なんか大晦日はいつもしみじみした気持ちで弾きます。今年はこれで終わりだなと。

最後に『フリープレイ―人生と芸術におけるインプロヴィゼーション』(スティーブン・ナハマノヴィッチ著/フィルムアート社)の中の、「練習すること」より、ストラヴィンスキーの言葉を引用します。

「作品を紙に書く行為というものは、パン生地をこねるように、
私にとって、創造の喜びと切り離すことはできません。
私に関する限り、スピリチュアルな努力と
心理的身体的な努力を切り離すことはできません。
これらは、同じレベルで私に直面し、ヒエラルキーがないのです」

それでは、皆さま良いお年を!


posted by yoko at 23:52| 京都 ☀| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月29日

音と心理の関係

今読んでいる『絶対音感神話』(宮崎謙一著/DOJIN SENSHO)の中でとても気になることがあったので、引用します。
「音響としての音の物理的性質と、その音を聞いた時に私たちが知覚する音の心理的性質は対応関係にあるが、同じものではない。(中略)音の聞こえの感覚は、物理的な音が、耳から脳に至るまでの聴覚系で分析・処理されることによってつくり出される主観的経験である。」(中略)「ピッチやラウドネス、音色などは、音を聞く人が感じる感覚的性質(心理的性質)であるため、測定器を使って測るわけににはいかない。こうした音の聞こえの性質を知るには、実際に音を人に聞いてもらう聴覚実験を中心とした心理学的研究を行うしかない。」

要は、音は物理現象(振動)だけど、どう感じるかは聞く人の頭の中で起こること(主観)によるから、それぞれに違う。音をどう感じるかは心理学の領域になるということですね。これは少し、はっとしました。

ここでは、単体の音についての話だと思いますが、音楽ならなおさら、心理との関係は深いでしょう。



posted by yoko at 23:59| 京都 ☁| 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする