2016年06月18日

BGM演奏

今日は一乗寺の「いるか喫茶バー」で1時間半、BGM演奏してきました。お店の名前は村上春樹の作品に出てくる「いるかホテル」にちなんでいるそうです。マスターのこだわりが感じられるお店です。
ゆっくりと静かな時間を過ごすような雰囲気なので、音楽もそれに合わせられるようにと演奏したつもりではあります。BGM演奏がいいなと思うのは、聴く側、演奏する側があまり構えずにリラックスして音楽を共有できることかな。でも静かなお店だから、ちゃんと弾かないと雰囲気こわしそうとも思いました。
静かめのオリジナル曲18曲と、編曲を7曲用意して行って、ぱらぱら譜面をめくりながらランダムに弾きましたが、2曲弾きそびれました。途中で休憩してくださいねと言ってくださいましたが、結局ずっと弾いてました。
ちょっと物語の、ある場面のような感じもするお店で、そのお話に何か添えるような演奏ができたらなと思います。来月は23日です。

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2016年05月31日

バッハを弾く

ダニエル・バレンボイムは『バレンボイム音楽論―対話と共存のフーガ』の中で「私はバッハで育った」と書いています。またバレンボイムの親友であるエドワード・サイードも『サイード音楽評論 2』の中で「ショパンもシューマンもリストも、さらに彼らに先立つベートーヴェンもモーツァルトも、みんな揃って『平均律クラヴィーア曲集』で育ったようなものなのである」と書いています。また、シャルル・ケクランの『和声の変遷』の中の「近代の対位法技法」の中でも、「近代では、どの若い作曲家もバッハを研究しないものはないし、また―各人各様に―バッハの影響を受けないものはない」と書かれています。
ショパンがいつも平均律クラヴィーア曲集を弾いていたという話は有名だと思いますし、シューマンを弾けばバッハを研究してたんだろうなと感じられます。

良さそうなことはまねをした方がいいかなと思うし、私も平均律クラヴィーアやその他のバッハ作品は毎日弾いてますが、一体なんと果てしない音楽の世界がその向こうにあるのだろうとただただ思うばかりです。
以前に分厚い本も買って最初は張り切っていくらか読んで、その後はまあまあ…。
とにかく何より弾くことによって音楽を感じ、旋律と和声の絶妙なバランスに触れ、自分の感性が磨けたらなと願っています。地道にこつこつと、でも楽しい!

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2016年05月17日

飛び入りライブ!

夫の友だちでギターの弾き語りをしている人がいて、たまに遊びで夫は鍵盤ハーモニカやピアノでセッションしていますが、アコースティック楽器限定の飛び入りライブができるライブハウスがあるから、一緒に出ない?と誘われました(演奏は別々で)。昔むかし学生の頃、ライブハウスもよく行ってましたが、その後PAの音、電気楽器の音が苦手になって本当に長いこと行ってません。

ライブハウスの人に聞いてみたら、生ピアノはなくて電子ピアノがあるということで(アコースティックじゃないやん!)、どうしようかな?と思ったのですが、先週からスイスの友人が遊びに来ていて、ライブを見に行きたいと言ってくれてるし、出ることにしました。

他の飛び入りの人たちは常連さんかな? 慣れてらっしゃるようで、なかなかアットホームな感じで私もリラックスして弾けました(オリジナルを3曲)。
ギター弾き語りの人が多く、熱い演奏と歌が繰り広げられていました。舞台と客席が近く、直接話をしたりしながら。演奏者もお客さんも自然体で音楽を楽しんでる感じで、楽しかったです。

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2016年05月07日

「新しい」か「古い」かではなく

今ぼちぼち読んでいるシャルル・ケクランの『和声の変遷』には譜例がたくさん出てきますが、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、シャブリエ、サン・サーンス、サティ、ムソルグスキー、ビゼー、ケクラン(著者)などなど、響きとしては近代の新しい感じのものがほとんどです(ほとんど知らない曲ばかり。実際音を出してみて、ふうん、きれいなあとか、よくわらからんとか)。

でも、譜例では新しい方法を紹介しつつ、繰り返し、古い手法をおろそかにするべきでないことも念を押すように書かれています。
例えば次のように。

(序)
「私は学生たちに―これは大変大切なことである―決して不協和音の中に身を没してはならぬと注意しよう。しかるに学生はあまりにもかたくなな熱意のままにその中に溺れている。それは彼らが完全三和音の美感覚を失ったからである。完全三和音のあの洗練された内的な本質を味わうには真の教養というものが必要なのである。しかし、独創的であろうと心をくだき、平凡さをおそれるというのならまた話は別である。たしかに平凡であってはならないし、又真の美を含むものは何かの点で独創的である。しかし芸術家があらかじめ、人の踏んで来た道をさけようと考えたところで、決して独創的になったとはいえない。(中略)芸術家が斬新で個性的であるという特権を持とうとするには、ありきたりの和音を一生懸命さけたからといってそうなるものでない。また、平凡さを救うものは、多調音楽であるのでもない。」

「ここでは近代の不協和音(往々にしてやわらかい)の一般的な発展について研究すると同時に、新しい和音形式を分析するのであるが、しかし決して万能薬とも言うべきものをお見せしようというのではない。くりかえしていうが、学生諸君―および音楽会の聴衆諸君―決して、過去のものを軽蔑したり、素朴なスタイルを軽んじたりしてはならない。」

(第五章 特殊例)
「本書は新しい音楽語を研究しようというものであるが、在来の和音もなお可能であるということを指摘しておきたい。」

「作者のファンタジーや感情を正確に表現するためにどのような和声にすればよいかと言うことについては法則もなければ定まった手法もない」

「古い完全三和音またはその方式を新しい個性的な方法で用いることもできるからである。」

そして「第六章 近代の対位法技法」で、近代の作曲家たちがは皆バッハを研究し影響を受けているという話につながっていきます。

以前、武満徹について書いたことがありますが、武満徹が晩年調性音楽寄りになっていったことについてかなり批判を受けたということに、なぜそうなるんだろうと違和感を持ちました。作曲家は常に新しいものを求め続けなければならないから、それは調性を感じるものではいけないのかと。そうじゃないんじゃないかと。

それで、この本もですが、オリヴィエ・アランの『和声の歴史』や、アンリ・ゴナールの『調性音楽を読む本』を読んで、大切なのはやはり新しいとか古いとかじゃなくて、「音楽」なのだと再認識しています。著者はみんなフランス人なのですが、物事を多面的にとらえて深く考察し、こちらに考えるための色々なヒントを提供してくれるという点が共通していると感じます。芸術に、音楽に答えはないから、どのように向き合うのかということが重要であると思うし、そのことについてとても心強い助言を得た気がしています。

『和声の変遷』はまだ途中ですし、その他の本もとても密度が濃いし、また読み返して感動したいです。


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2016年05月01日

ラ・フォル・ジュルネびわ湖2016へ

今日は母とラ・フォル・ジュルネびわ湖へ行ってきました。1週間ほど前に急に行くことになって、昼間のオーケストラのコンサートはすでに売り切れていて、残席わずかのレ・パラダンのフレンチバロックコンサートのチケットを予約しました。

ホールに到着した時は、メインロビーでシマノフスキの「神話:3つの詩」という曲がヴァイオリンとピアノで演奏されていました。すでに多くの人が集まって聴き入っていました。
この場所での演奏は、横の喫茶コーナーから食器の音が聞こえたり、子どもたちが走ってたりするわけですが、その気楽さがいいなと思います。生音の迫力、魅力は多少の雑音には負けませんね。

これを聴き終わってしばらくして、予約していたコンサートのホールへ向かいました。
楽器はチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバとオルガン。そして歌。チェンバロ奏者はとても軽やかに奏でていましたが、あの楽器は一度弾いたからわかるけど、ピアノと音の出る仕組みが全然違って、鍵盤を押すとお琴みたいに弦がはじかれて音がでるから、鍵盤を押したときに引っかかった感じがしてとても弾きにくく、ピアノを弾くようには弾けない!ということを母に説明しました。

私の横には小さな男の子がいて、その横にその子のお母さんが座っていました。男の子はコンサートが始まる前からそわそわしていて、始まってからも落着きがなく、大丈夫かなと思っているとしばらくしてお母さんが男の子を抱っこしました。すると、とてもおとなしくなって、ちらっと見るととても安らかな顔ですっかりお母さんに体をあずけています。音楽もよかったですが、なんかそのほのぼのした様子にじーんときました。お母さんも普段はなかなか何もせずにじーっと抱っこしている機会はあまりないかもしれないし、親子にとっていい時間なんじゃないかなと勝手に思っていました。ラ・フォル・ジュルネの良いことのひとつは小さな子を連れてこられることでしょうね。お金を使わなくても、メインロビーのコンサートだけでも楽しめる。お子さんに生音を聴かせてあげるいい機会だと思います。
前回来たのは2年前ですが、久々に来てやはりいい音楽祭だなと思いました。


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2016年04月30日

スーパーアンプで

今日は夫がリフォームの設計をして去年完成した知人の町家に招待していただきました。うちの夫婦と別にもう一組のご夫婦も来られましたが、だんなさまは夫の知り合いのアンプ作りのプロで今日おじゃました家のお施主さんご夫婦にご紹介して、竣工の際、アンプとスピーカーを用意していただきました。

あれから1年たち、家の中を案内してもらいましたが、坪庭づくり、様々な棚や造りつけ家具、裏庭の屋根工事など、お二人のアイデアやまめさには驚かされました。完成度も高い!
家に愛着を持って、手を入れることを楽しんでくれていて、よかったなと思います。

さて、夫がぜひにというので、私が作ってスタジオで録音した曲をCDに入れて、スーパーアンプとスピーカーでならしていただくことに。
それまでかかっていたアンプ作りの方の持ってこられたジャズを止めて、かけてくださいました。食事をしながらBGMとして聴いていただくとは、なんとありがたいことでしょう。それまでかかっていた軽快なジャズに比べて、ちょっとしんみりした感じもしましたが、とりあえず会話のじゃまにはならなかったかな。こんなことしてますという自己紹介のようなものですね。さすが良い音でした。

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温かなおもてなしに感謝です!


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2016年04月21日

音楽性というものは

少し前に、シャルル・ケクランの『和声の変遷』という本を買いました。京都芸大図書館で下見をして、欲しいと思っていました。でも古い本で普通の本屋さんでは手に入らないのでネットの古本屋さんで見つけました。紙は茶色くなってるし、所々鉛筆で書き込みもあり(消しゴムで消せるからよかった)、少したばこのようなにおいもしますが、それでも見つかってよかった。

譜例がたくさんあって、音を出しながら読み進めていていますが(参考になってるかどうかわかりませんがとりあえず)、音を出せる時間帯はなるべくピアノの練習や作曲などをしているので、なかなか先に進みません(ようやく5分の1くらいで止まってます)。でも、すでに興味深いことがいくつかあって、それは理論についてというより、音楽への向き合い方のような考え方についてです。

一例をあげてみます。途中の「特殊例」という章に次のようなことが書かれています。

「和声学の法則や禁止が現代の音楽家によって大抵は破られている。五十年前の人たちはそれほどこれらの法則を犯さなかった。そして十八世紀 ―あるいはそれ以前の― 大家たちは、これらの法則とは全然ちがう用例をしめした。ベートーヴェンの考え方(彼曰く、“法則は私のする通りになっている”)や、グルックの考え方(“音楽として要求されるならば、私の犯さなければならぬと信じたものはもはや法則ではない”)については既に誰もが知っていることである。」

(中略)

「音楽性というものはきわめて神秘である。どの作曲家もみな同じ音楽性をもっているということはない。ただし音楽性が存在するという点では、すぐれた音楽家たちはみな共通している。(しかし場合によっては意見の異なることもある)
“美の法則”を数理的に樹立しようという理論にとっては、音楽性というものは厄介なものである。“芸術の数理的理論”というものは論じる価値はあるが、それは量的には説明しえない要素を含んでいる。つまり、その要素というのは、質的なものであって量的なものでないところの人間の感情である(ベルグソン)。
この人間的な要素がつねに芸術の根底にある。それは数だの大きさだのによっては分解できないものである。人間の魂とその表現(芸術の物的手段によってなされる表現)、この間の関係は、心と物、質と量、無限と有限等におけると同様に神秘なものである。
したがって、過去および現在の大家たちの作品に見出される数多くの特殊例は一々非難したり懸念したりする必要はない。今日以降も、またちがった特殊例が見出されるであろう。そして、それらはすべて理論では証明できぬものであろう!」

“人間の魂とその表現”。まさに、日々その狭間を行き来している気がします。音楽性とは神秘であり、無限ですね。どこにも答えはないから終わりがない。

理論の部分はまあまあ適当にとばしつつ目を通して、こういった部分は何度も「そうそう」と思いながら読み返している感じです(笑)。


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2016年04月19日

楽しみにしてくださる方たちに感謝!

月曜は児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。今日も多くの親子が来られてて(生後1か月の赤ちゃんも!)一緒に楽しい音楽の時間を過ごしました。プチコンサートではシューマンの小品と自分の編曲を。
帰り際、あるお母さんと少しお話をしたのですが、その方が、ピアノのイベントは子どものためというよりお母さんが聴きたいから来てるんですよ!と言ってくださいました。その方は以前も私のアレンジした曲について質問されていたし、音楽好きな方だとは思っていましたが、とてもうれしかったです。お母さん方から直接感想を言われることは少ないので、どう感じてらっしゃるかはいつも気になっています。色々な曲を弾きながら、ささいなリアクションを察知して(笑)、それなりに感じてはいますが。スタッフの方から音楽好きな方たちが来られているようですよ、とは聞いています。

3月の子育て講演会で弾いた「きらきら星変奏曲」(モーツァルトじゃなくて私の簡単な)がとてもよかったとも言ってくださいました。
実はこのあたりの曲は、誰もが知っているような曲を編曲したもの(なるべくわかりやすい感じで)もあった方が、楽しんでいただけるのではと思って作っています。なので、私が今作っているような曲とはだいぶ感じも違うのですが、ここが悩ましいところです。自分が作りたいものと求められている気がするもののギャップがあるよな〜と。まあ、多分どちらも作ることになるかな?
小さい子がいたらなかなか聴きに行ったりできないじゃないですか、という言葉を聞くと、そういう人たちにとってのささやかでも楽しみの場であるならうれしいことです。


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2016年03月19日

グリーグ節?

昨日スタジオで録音したのは、昨年作ってすでに家で録音している曲ばかりで、今も何曲か作りかけていますが、なんとなく気持ちを新たにしたいような心境で、はたと、グリーグの「抒情小品集」を弾こうと思いました。
どの作曲家の作品もですが、曲を作り出してからはそれ以前よりも興味深く感じられます。
グリーグの抒情小曲集は短めの曲ばかりで、私が曲を何曲か作った頃に私の抒情小曲集を作っているような気になったことがあります。以前に何曲かは弾いたことあるのですが、弾いたことない曲の方が多くて、最初から順番に弾いてみるとおもしろい。昔、舘野泉さんの演奏をCDで聴いていたことがあり、一応66曲全部知っていますが、聴くのと弾くのとではやはり弾くのがおもしろい。さらさら弾けなくても、音を出すことそのものが楽しい。特に今はたくさんの発見があり、わくわくします。
グリーグは北欧のショパンとか言われているようですが、独特のムードがありますね。グリーグ節なのか、北欧節なのか(笑)? 民族的な雰囲気と現代的な響きがある。けっこう凝っている。
そもそも、民族音楽は西洋音楽の短調、長調にあてはまらないものが多いから、そういう要素が入ると調性があいまいになって、現代的な響きにもなる。
おもしろがって、全部弾こうかと思いましたが、30曲くらいで3時間近くかかった(ゆっくりめに弾いたので)からあきらめました(笑)。また続きは今度。


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2016年03月14日

ロームシアターへ

日曜日、夫とロームシアターへ行ってきました。1月にオープンしたから一度見てみたいと思って、先月行ってみようかと行ってみると京都マラソンのために閉まっていました。岡崎エリアはゴールなんですね💦。

特に用はなかったのですが、建物を見るのと、蔦屋ができたからのぞいてみるくらいのつもりで行きました。改築した部分と新築した部分があると聞いてましたが、落ち着いた雰囲気でなかなか良いのではと思いました。でも蔦屋とスターバックスができたり、横の公園とつながったりしたからでしょう、オープンな感じになり人もたくさんで、京都会館の時よりもだいぶにぎわっているのではないでしょうか。コンサートがなくても行ける場所になりました。
実際、私たちも市立美術館や府立図書館のあるこのエリアには時々行きますが、私は京都会館は多分10代の頃から行ってないです(何十年も!)。今回の増改築によって、人がたくさん来る場所となり、建物がより生かされるのは良いことだと思います。


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蔦屋の3階は図書館のような閲覧コーナーがあり、数はそんなに多くないですが(アート系が多い。それでもわりと色々な本がある)、お茶を飲みながらゆっくり読書ができる!というのがすごい。私たちもスターバックスでコーヒーを買って3階へ。

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パラパラと本をながめ、それから同じ階で上映されていた、小澤征爾さんの音楽塾で公演されたラヴェルのオペラ『子どもと魔法』を見ました。部屋は開けっ放しで出入り自由、小さなスクリーンの前に椅子が並べられていましたが、人もまばらで途中で出ていく人も。40分ほどの劇でしたが、私は特に音楽を興味深く聴きました。終わってからポスターがすてきだったから写真を撮ってもいいですかと聞くと、だめといわれました(なんでやろ?)。あまり人も見に来てなかったし、宣伝になると思ってくれればいいのに、残念です。

今はまだ観光客の多くない季節だと思いますが、もうすぐ桜です! すぐ横は桜の名所のひとつ平安神宮。すでに蔦屋の店内はスターバックスのコーヒーを注文する人の列で混んでましたが、なんかすごいことになりそう(笑)。



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