2017年05月06日

現代アート(ライアン・ガンダー展)を鑑賞して

大阪の国立国際美術館へ行って「ライアン・ガンダー展」を見てきました。このアーティストのことは知らなかったのですが、美術館のサイトを見て、おもしろそうだなと思って行くことにしました。
たまに美術館に行きたくなりますが、広がりがあって、明るくて、空間が楽しめるようなモダンなタイプが好きで、作品そのもの以上に全体の雰囲気を楽しみたいという感じです。

さて、展示室の中に入って、作品を半分くらいみたあたりで、「ああ、ぜんぜん、わからん」と思って、初めて音声ガイドを借りることにしました。これまでも現代アートは「よくわからないもの」という認識で、それでも美術館という空間を楽しめればいいと思っていました。でも、今回は「なにか手がかりが欲しい」という思いが強くなりました。現代アート以外の作品、風景画や静物画、抽象画でも、そこから何かを感じる、それなりの鑑賞の仕方を自然にしていると思います。でも、現代アートは大体「わけがわからない」という印象で、なぜ、そんなにわかりにくいことをするのだろうと思うこともよくあります(例えばカバンや靴が置いてあるだけとか、意味不明なコラージュとか)。

ただ、昨年行った金沢21世紀美術館で見た「西京人」という展覧会は、メッセージ性が高いと感じ、全体的に親しみやすいい印象でした。常設で、人気のある「プール」も、鑑賞者が作品の中に入り、それを他の鑑賞者が見るという、常に変化する作品という風に感じて、おもしろかった。この美術館は鑑賞者に、より自発的に参加することを促すようにできていると思います。とても、すてきな美術館でした。

IMG_0689.jpg

(話を戻して)音声ガイドを借りて、また最初から見始めると、面白い! それを聞いても作者がなぜそれを作ったのか、何を意図しているのか、そういうことはわからないのですが、作品に少し親しみが持てるような気がします。それが何でできているのかとか、それは製作の過程でできたもので完成品はネットで見られるとか、それは〇〇とのコラボで作られたとか、どういうしくみで動いているとか、そこの穴と横にあるものとの関連とか、そういったことがわかるだけでも、楽しくなってくる。

美術館を出てから、夫とライアン・ガンダー展について話をしました。夫は音声ガイドは利用しませんでした。それで、どうだったかと聞くと、「面白かった」と。私は音声ガイドがあった方が楽しめたけどと言うと、「それはそれでいいんじゃない」と。私は、現代アートの鑑賞の仕方がいまいちわからない、よくわからない、どっちかというとつまらない、というと、「子どもだったら、きっと面白がる」と言う夫。それを聞いて、はっとしました。なんか目からうろこが落ちたような。一瞬自分が童心に帰った感覚がおこり、「あっ、楽しいかも」と思えました。子どもなら、様々な不思議な展示物を見て、「これは何を意味するのだろう?」とか、「これって、アート作品といえるのだろうか」とか、「作者は不親切じゃないか?」とか、そんなことは考えないでしょう。ただ、純粋に好奇心を持って接し、「これ何やろう?」と自分の想像をふくらます(でも興味持てないものはスルー)、そんな気がします。現代アートは感じるものじゃなくて、何を意味しているか考えるものと思っていました。その答えがさっぱりわからないから、つまらなかった。答えはそれぞれの頭で自由に作り出すということを子どもは勝手にやるかもしれない(?)。

作品を受け身で楽しもうとすると作品に色々求めてしまうけど、自発的に楽しむのなら自分が勝手に想像して楽しめばいい。そもそもアート鑑賞(現代アートに限らず)に正解などはないはず! そうなると作者がそれに意味を持たせているのか、ひらめきだけなのか、どっちでもいいとすら思える。人によって全く違った解釈が生まれる可能性を秘めている。そういう風に思うと現代アートはこれまで思っていたのとは違う意味を持っていると思えます。
大人だから、意識しなければ「子どものような心」で接することはできないけど、次からは現代アートを違った目で鑑賞できるかもしれない。もっと、自発的に想像ごっこにトライしてみよう。もちろん、スルーしてしまう作品もあるかもしれませんが💦。他のことでもそうですが、肯定的に接するのと、否定的に接するのではそもそも違った印象になると思ってます。

色々考えてから改めて思い返してみると、ライアンさんの作品はいたずら心、ユーモアがあったな。音声ガイドの説明でも何度か笑ったし。今回のアート鑑賞は、ちゃんとその後それについてつっこんで話をしたことで、私にとってぐっと実りあるものとなりました。よかった(^^)


IMG_1406.jpg


IMG_1392.jpg


IMG_1393.jpg



posted by yoko at 15:39| 京都 ☁| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月29日

光源氏が語る「物語論」

以前もブログに書いた『日本の芸術論』(安田章生著)をちびちびと読み進めています。実は、この本で一番力の入っている「詩歌論」を読んだ後、しばらく読んでなかったんです。といのは、あまりに芸術を追求して高めることばかりが書かれていて(松尾芭蕉についてたくさん書かれています)、少しひいてしまったんです。
すべてでないかもしれないけど、その対象が無限と思われる「自然」の美。それがすばらしいことには違いないと思いますが、そこから美をすくい取って、「詩」という芸術に仕上げることにに全生命をかけるくらいの厳しさというか、その精神性に、ちょっとそこまでは…と感じてしまって。そういう印象を持ってしまったあたりからは、読み方もちょっといい加減になったかもしれません。すばらしいこともたくさん書いてありますが。

で、しばらくしてから、次の「物語論」というのを読んでみたら、少し興味深いことが書いてあって、ちょっと書いてみようかと思いました。
「物語論」も「音楽論」よりはましなものの、「詩歌論」に比べれば、書かれたものが少ないようです。その中で著者にとっての物語論の中で、最高のものとして『源氏物語』の「螢」の巻のなかに見える物語論をあげています。源氏物語って、昔々、高校生の時古典でずっと読んでいたけど、ほとんど覚えてないというか、そもそもあまり頭に入ってない(笑)。

紫式部が、『源氏物語』の中で自分の物語論を光源氏に語らせているということです。
著者が要約したものは、こうです。

一、物語というものには、実際なかったことがかかれており、そういう点でそのままには信ずべきでないものが含まれている。

二、しかし、それは、さびしい心を慰めてくれるものであり、虚構のなかに人間性の真実をきらめかしているものである。

三、それゆえ、それは、史実を越えて、人間性を描き出すものであり、そういう意味で、史書以上に人間の真実に迫り触れているものである。

四、そういう物語というものは、ある特定の事実をそのままでないにせよ、この世に生きている人間の有様を見聞きするにつけ、書かずにはおられなくなって書いたものである。それはやはり現実に深く根ざして書かれたもので、全く嘘だとはいい切れないものである。

人をひきつける物語とは、その中に受け取る側が共感できる真実があるからだと、実感することはよくあります。

「詩歌論」がどちらかというと、自然に向き合っているのに対し、「物語論」は人に向き合っているという違いが感じられます。この違いは興味深い。

この本は、そもそも自分にとっての興味のテーマで、この本を選んだきっかけ、「私に影響を与えている日本・西洋の芸術についての考え方」にも影響を及ぼしている感じがしています。


posted by yoko at 00:23| 京都 ☁| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月14日

下鴨納涼古本まつり

下鴨納涼古本まつりに行ってきました。何年か前にも行きましたが、ちょうど今、何か本を読みたい気分だったからいいタイミングでした。
本が並ぶ糺の森は木陰がたくさんあって、小川もあるし、雰囲気的には涼しげですが今日はすごく暑かった! ずっと古本まつりのうちわをばたばたさせながら、少しずつ見ていきました。といってもすごい量で、本屋さんのようにジャンルごとに分類されているわけではないので(絵本とか、大型本とかぱっとみてわかるのもありますが)、適当にながめてなんとなく興味のありそうなものが並んでいるところで立ち止まって、気になるものはとりだしてめくってみるという感じ。大量に本があるからといって欲しい本がそう簡単に見つかるわけではなく(多分ジュンク堂の方が見つかる)、1時間ほどうろうろしてたでしょうか、暑いし、うちわで扇ぐのも疲れてくるし、だんだんうんざりしてきて「もういいわ」と夫に言った後、なんとなく見てたら以前も古本まつりで買ったことのある本屋さんがあって、もしかしたらと本棚を眺めていたら、ありました、興味そそられる本が。せっかく行って時間かけて見たのだからやはりせめて1冊は手に入れたい。中を眺めて、うん、面白そう。ということで買いました。

もう何年も前、私にしたら危機感を覚えるほどモチベーションが低下していた時があって、どうしようもなくて何の目的もなく本屋さんに行って、ぼんやり本棚を眺めていて、目が留まった本を手に取りました。「モーツァルトが求め続けた「脳内物質」」というちょっと怪しげなタイトルの本です。それを見つけた段階ですでに私の中で低下していたモチベーションが上がりはじめました(まだ読んでないのに、なんで?)。そして読んでみて、まあ内容はなんともですが、とにかくその本を見つけたことが1つの転機となりました。なぜかはよくわかりません(笑)。本の中身はあまり覚えてないのですが(笑)、そういういきさつのある本なのでタイトルは覚えています。
私は決して読書家ではなく、はやってたり、皆が面白いと言ってても、実際読み始めて興味持てなかったらそれ以上は読めません。でも、本は時として大小さまざまな気づきを与えてくれたり、発想の転換のきっかけとなります。今回買った本からもきっと何かを得られるのではと期待します。

furuhon1.JPG


furuhon3.JPG


furuhon2.JPG


posted by yoko at 00:23| 京都 ☁| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月17日

緑の中の工房

今日は、夫がリフォームの設計をさせてもらった友だちの工房をのぞいてきました。なかなかいい感じになっていました。
建物のどの窓からも緑が見えます。まさにピクチャーウインドウ! 常に変化し続ける、生きた「絵」ですね。なんとぜいたくなことでしょう。
友だちは、毎日自然からエネルギーをもらって、ますますパワーアップしそうです。

kakukame.jpg


posted by yoko at 23:45| 京都 ☀| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月01日

インディーズ映画上映会

おととい、京都国際インディーズ映画祭を運営されている京都メディア・アート・ラボ企画の上映会へ行ってきました。場所は室町御池上るの『遊子庵』。町家です。
スタッフの方も入れて10人ほどのこじんまりした上映会でしたが、TVF(東京ビデオフェスティバル)の受賞作のうち短い映画を4本(ドキュメンタリー3本、アニメーション1本)を鑑賞し、映画の間や終わってから映画の話やさまざまな話をたくさんしました。
京都国際インディーズ映画祭は今年で10年目ということでTVF(東京ビデオフェスティバル)からTVF文化功労賞を受賞されたそうです。
私はたまたま今回の上映会を知って、ぜひ行ってみようと思いました。インディーズ映画でどんな音楽が使われているか興味があったからです。
ドキュメンタリーの3本は、どれも重たいテーマでインタビューをメインとした構成になっていて、そういった映画に「音楽いる?」と感じられないようにさりげなく音楽を入れるのって難しいのではと思いました。3本とも音楽は控えめでした。
アニメーションは、より音楽は自然な感じがしました。物語であるし、音楽自体も良かったのではと思います。

映画も皆さんのお話も興味深く、楽しい時間を過ごしました。


posted by yoko at 00:19| 京都 ☁| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月03日

梅宮大社へ初詣

今日は家族3人で初詣へ行きました。梅宮(うめのみや)大社です。ここは、酒造、子宝や縁結びの他、学業、音楽芸能(!)の神様が祀られているということですが、その始まりはおよそ1300年前ということです。
近くの松尾大社の初詣に比べると人も少なく、屋台などもなく、静かでゆっくりできる感じです。四季折々の花が楽しめる神苑は、今は花は少ないですが、それでも椿、梅(早い?)、水仙、千両・万両・南天の赤い実などが見られるし、木々には春を待つまだ閉じている新しい芽がたくさんあって、自然の生命力を感じることができます。

いつもお守りは買ったり持ったりしないのですが、「音楽芸能成就」のお守りを買ってしまいました(笑)。今年もきっといいことがあるという予感がします(ポジティブです!)。

umenomiya1.jpg


umenomiya2.jpg


umenomiya5.jpg


umenomiya3.jpg

umenomiya4.jpg


posted by yoko at 22:58| 京都 ☁| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月02日

『The Starfish Story』

少し前にカリフォルニアに旅行に行った友達が2週間ほどの間に2回も聞いたというお話を送ってくれました。『The Starfish Story』ヒトデのお話です。
じぶんなりに意訳してみました。

老人が明け方の海辺を歩いていました。見ると前方に少女が歩いています。彼女はヒトデを拾っては海へ投げ入れています。老人は少女に追いつき、そしてどうしてそんなことをしているのかたずねました。少女はヒトデがこのままここで朝日にあたれば死んでしまうからと答えました。「だけど海岸は何マイルも続いているし、何百万というヒトデがいるよ」「そんなことをしてもあまり意味がないのじゃないかな?」と老人は言いました。少女は手に持っているヒトデを見て、そっと波間に投げました。「このヒトデにとっては大切なこと
よ」


そこの土地の人たちはこの話が好きだということです。友だちも好きだと言っていました。私もとてもいい話だなと思ってブログに書こうと思いました。こちらから見れば無数にあるうちの一つ。でも逆にそれぞれにとってはたった一つの大切な命。短いながらとても感動的なお話だと思いました。勝手にこのお話に励まされた気持ちもあります。たとえわずかなことでも意味はあるはずだと。皆さんはどのように感じられるでしょうか?

posted by yoko at 15:19| 京都 ☀| Comment(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月18日

かわいい子たちからプレゼント

今日、近所の乳児保育室の子どもたちからかわいいプレゼントを受け取りました。残念なことに私はちょっと近くまで出ていて夫が受け取りました。小さな子が保育士さんに付き添われて「いつも遊ばせてくれてありがとう」というようなことを言ってプレゼントを渡してくれたそうです。
うちの家は家の前の車の通る道から少し下がった位置にあり、そこから家のまん前の細い道に下りるために家を建てた時スロープを作りました。そのスロープは近所の子や保育室の子どもたちの遊び場になっています。うちの家の前はそれほど交通量も多くないので子供たちは道路で遊んでいますが、やはりスロープは変化があっておもしろいのでしょう。
保育室の子どもたちは時々保育士さんといっしょに散歩にやってきてスロープの所で遊んでいます。ハイハイしている子もいれば、よちよち歩きの子もいます。その様子は本当にかわいらしいです。
保育士さん達とも何度か言葉を交わしていて、私は児童館に行っていてこのくらいの子たちのイベントでピアノを弾いているんですよという話をしたこともあります。私がピアノをしていることは以前からご存知でしたが、児童館のことは少し驚かれていました。
プレゼントの中身は手作りクッキーでした。いっしょにこねたりしたのかな? ほのぼのした気持ちになりました。

cookie.jpg



posted by yoko at 23:53| 京都 ☁| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月07日

美男かづら

先日、いつも買いに寄ってついつい長話になるお花と丹波のお野菜を売っているお店に行くと、ぱっと目をひく赤い実の植物(切り花)が目に入りました。前も赤い実の色々な植物のドライフラワーをいただいたり買ったりしていますが、「これ何かわかります?」と私が見ていた植物について聞かれました。「美男かづら?」と言うとやはりそうでした。
この秋何度かお花屋さんやお店のディスプレイで美男かづらの植えてあるのを見てすてきだなと思っていました。けっこう高いんですね。実が赤くならないという話も聞きました。
とにかく、気になっていた植物です。そして、またまた「あげましょうか?」と言って、赤い実のついた一本の枝を適当に切ってくださいました。ええ、そんな、うれしすぎる!
それでその時、お店の方が「美男かづら」(さねかづら)が入っている万葉集の歌を紹介してくださって、その時、万葉集の中身についてあまりしらないことに気づきました。

それで、早速図書館で別冊太陽の「万葉集入門」という本を借りました。このシリーズはけっこう写真も多くて読みやすいから好きなんです。それでぼちぼちと読んでいるのですが写真も美しいし、ちゃんと説明もあってわかりやすい。何より新鮮な驚きは、自然をめでたり、人間関係を歌ったり、短い文章の中に生き生きとした表現が感じられることです。
当然かもしれませんが、7世紀あたりの大昔の人も現代の私たちのような感覚を持っていたことが、不思議な感じがするのです。言葉として残っているからそのことがわかる。それよりもっと昔の人たちも変わらないのかもしれない。唱歌の歌詞なども自然を歌ったものがあって、昔の人は感受性が豊かで表現もすてきだなと思っていましたが、もっともっと昔の人も豊かな自然から多くのことを感じ取って、素晴らしい言葉を残している。

一つ、訳も含めて引用したいと思います。

(額田王 ぬかたのおおきみ)

冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来(き)鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入(い)りても取らず
草深(ぶか)み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみじ)をば 取りてそしのふ
青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は

(冬ごもり)春が訪れると、今まで鳴いていなかった鳥もやってきて鳴く。咲いていなかった花も咲いているけれど、山が茂っているのでわざわざ山へ入って取りもせず、草も深いので手に取って見もしない。
秋山の木の葉を見れば、黄色く色づいた葉を手に取って賞でる。まだ青い葉はそのままにして色づかないのを嘆く。そのことだけが残念なことよ。
なんといっても秋山に心が惹かれる、私は。


春に対しては淡々と、秋には思いを込めて書いている歌。わかりやすくておもしろい。

このような本もこの歳になっておもしろいと思えるのかもしれない。なんとなく見過ごしてきているものの中にまだまだおもしろいものはたくさんあるのだと思います。
好奇心と想像力がどんどん世界を広げていく。歳をとるほど加速している?(笑)

binankadura.jpg


posted by yoko at 00:05| 京都 ☁| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

水彩画展で

今日の夕方、夫と寺町のギャラリーカトで行われている淺田ようこさんの水彩画展を見に行きました。淺田ようこさんは夫の水彩画の先生です。雨が降っていましたが、ギャラリーには次々とお客さんが来て、熱心に絵に見入ったり、絵について淺田先生に質問をしていました。花の絵と外国の風景の絵が多かったですがとにかく色づかいがきれいし、明るいです。見ていると晴れやかな気持ちになってくる。絵を見ていて、まるでその場でその光景をみているような気分になりました。写真では写せない、その場の空気のようなものが表現されているからではと思ったりします。

淺田ようこさんの絵からは、見ている人を幸せな気持ちにしたいという思いが伝わってくるようです。そして見ている私たちは幸せを感じる。芸術とはそのためにあるのだと改めて思うのでした。

私も聴いている人にほんの少しでもいい気持ちになってほしいといつも願っています。

asadasensei.jpg


posted by yoko at 23:55| 京都 ☔| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする