2016年08月29日

感動すること、表現すること

改めて言うまでもないのですが、私はピアノを使って音楽を表現することが好きです。それは一つの形として、自分の内面を表現していることになると思います。何かを表現するのは、能動的な行為で、受け身の行為としては(積極的にですが)、もちろん音楽を聴くこともそうですが、自然や絵画や建築や映画や本や様々な感動を与えてくれるものに接することになると思います。そこには垣根はありません。「自分がいいと思えるもの」という共通性があって、どの分野に属するかということはどちらでもいいです。
以前、自分に感動を与えてくれるものに接することは、自分の表現行為にどういう関係があるのだろうと少し考えました。その時気づいたのは、感動したら今度は自分が何かを表現したくなるということです。自分がいいと思えるものはたくさんあっても、音楽とその他の決定的な違いは、自分が行為者として表現したいと思えるのは音楽であって、絵を描きたいとか思わないわけです。そこに情熱の大きな差がある!
そういうわけで、これからも色々なものに感動し続け、その感動を表現の糧としていくだろうと思います。

8月に行った二つの美術館。

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何必館

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堂本印象美術館

何必館では村上華岳の絵が、堂本印象美術館では堂本印象の襖絵などが特によかったです(どっちも渋いな!)。シンプルな絵ほど、その線を選ぶセンスが感じられてすごいなと思います。


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2016年08月27日

今日の演奏

今日は「いるかショー」でした(うちの娘がそう言った(笑))、じゃなくて、「いるか喫茶バー」で1時間半BGM演奏してきました。
先月の演奏の後、よりBGMを意識して作った曲を6曲加えました。抑え目でもやはり自分としてはどこか抒情的というか、エモーショナルな感じを含みたいという気持ちがあって、そんな感じになっていると思っています。私が弾いてる1時間半の間、ずっといらっしゃったお客さんもおられたし、1人の方や友だち同士などがそこで過ごされる時間が少しでもいい雰囲気になればと思いつつ弾いています。
来月は24日(土)に演奏します。

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演奏後、紅茶を飲んでくつろいでいる。

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2016年08月14日

下鴨納涼古本まつり

下鴨納涼古本まつりに行ってきました。何年か前にも行きましたが、ちょうど今、何か本を読みたい気分だったからいいタイミングでした。
本が並ぶ糺の森は木陰がたくさんあって、小川もあるし、雰囲気的には涼しげですが今日はすごく暑かった! ずっと古本まつりのうちわをばたばたさせながら、少しずつ見ていきました。といってもすごい量で、本屋さんのようにジャンルごとに分類されているわけではないので(絵本とか、大型本とかぱっとみてわかるのもありますが)、適当にながめてなんとなく興味のありそうなものが並んでいるところで立ち止まって、気になるものはとりだしてめくってみるという感じ。大量に本があるからといって欲しい本がそう簡単に見つかるわけではなく(多分ジュンク堂の方が見つかる)、1時間ほどうろうろしてたでしょうか、暑いし、うちわで扇ぐのも疲れてくるし、だんだんうんざりしてきて「もういいわ」と夫に言った後、なんとなく見てたら以前も古本まつりで買ったことのある本屋さんがあって、もしかしたらと本棚を眺めていたら、ありました、興味そそられる本が。せっかく行って時間かけて見たのだからやはりせめて1冊は手に入れたい。中を眺めて、うん、面白そう。ということで買いました。

もう何年も前、私にしたら危機感を覚えるほどモチベーションが低下していた時があって、どうしようもなくて何の目的もなく本屋さんに行って、ぼんやり本棚を眺めていて、目が留まった本を手に取りました。「モーツァルトが求め続けた「脳内物質」」というちょっと怪しげなタイトルの本です。それを見つけた段階ですでに私の中で低下していたモチベーションが上がりはじめました(まだ読んでないのに、なんで?)。そして読んでみて、まあ内容はなんともですが、とにかくその本を見つけたことが1つの転機となりました。なぜかはよくわかりません(笑)。本の中身はあまり覚えてないのですが(笑)、そういういきさつのある本なのでタイトルは覚えています。
私は決して読書家ではなく、はやってたり、皆が面白いと言ってても、実際読み始めて興味持てなかったらそれ以上は読めません。でも、本は時として大小さまざまな気づきを与えてくれたり、発想の転換のきっかけとなります。今回買った本からもきっと何かを得られるのではと期待します。

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2016年08月09日

地域固有の音楽と、広く共有する音楽について

7月、京都ではどこへ行っても祇園囃子がスピーカーから流れている感じでした。近くのスーパーでも、四条通りでも、京都駅でも。最初は、「ああ祇園祭やなあ」と思うのですが、そのうち、くどい!(笑)と思えてくる。そして、何より祇園囃子は、祭りの時ライブで聴くものだと思います。祭りのムードが高まるいいものです。
それでも、もし京都の人間が、京都から離れて暮らしていて、例えスピーカーからこの音楽を聴いたとしたら、懐かしく思うかもしれません。それは、音によって情景がよみがえってくるからでしょう。日本という国の、さらにローカルな場所で共有されている音楽。そういったものは、日本のその他の地域や、外国の様々な地域などすごくたくさんあると思います。でも、逆に言うと、文化的背景や思い出などを共有してない人が、例えば祇園囃子を聴いてしみじみするかといえば、それはないのではと思います。ドビュッシーがインドネシアのガムランを聴いて衝撃を受けたというエピソードがありますが、それは作曲家として触発されたということでしょう。

世界中にある、民族音楽はその地域の人たちや、また研究材料として価値あるものだと思います。地域の音楽は人々の心ををつなぎとめる役割もあるかもしれません。ただ、民族や地域を越えて共有するにはやはり音楽以外の部分を含めて共有してないと難しいんだろうなと感じます。

これと対照的だなと思うのは、西洋クラシック音楽をベースとした音楽です。クラシック、ジャズ、ロック、ポップスなど私たちが普段耳にする音楽のほとんどは、西洋クラシック音楽が簡素化されたり、変化したもので、平均律で構成され、コードをつけたり、移調したりすることができる。これは、民族音楽の複雑な音律(すべてがそうか知りませんが)と比べればシンプルですね。またクラシックの和声も平均律の前はもっと、響きを重視した色々な音律があった。平均律で扱いやすくなった音楽の何よりのメリットは、共有しやすく
なったことではないでしょうか? 結果的にみれば、それは文化的、民族的背景などを共有してなくてもです。上にあげたような音楽ジャンルは多くの国々で愛されていますよね。

5月にスイスの友人が遊びに来た時に、たまたま80年代の洋楽がかかっているお店に連れていったら、大喜び。私たちにとっても懐かしい曲ばかり。彼女が帰国する際、関空に送っていく車の中で一緒にカントリーロードを歌いました(彼女は感極まってました)。外国人の音楽の先生と、クラシックの色々な曲について語った時も、おもしろかった。私たちはまったく別の環境でそれらの音楽に感動している経験を持っているのだから。

オリヴェエ・アランの『和声の歴史』に次のように書かれています。
「音空間を移動しやすくするように、伝統的なピュタゴラスやアリストクセノスの音程が平均律によって多少変更されても、耳が受け入れるようになる。同じ和音ならばどんなに高さを移しても和音として変化しないようにするためには、まず音列をこのように改める必要があったのだ。もちろん、このように変えたために、いくつかの特徴のある表現、たとえば、ある旋法に独特の「エトス」(特有の表現)とか、平均律採用前にはおのおのの調性がもっていた独特の色彩とかいうようなものを聞けなくなったことは事実である。
しかし、失ったものを惜しむあまり、得たものを過少評価してはならない。歴史的発展には、従うまいとしてもむだであろう」
「和声の歴史を理解することは、ヨーロッパで聴感覚が経てきたさまざまな発展段階を再確認することである。これは音の「語法」の相対性を認めることではあるが、同時に、耳が持つ無限の適応能力を知ることにもなる」

平均律の音楽が主流となったということは、響きの純粋な美しさの追求よりも、耳は皆で楽しむことを優先したということかもしれません。

地域固有の音楽と、世界中で共有できる可能性のある音楽、どちらがいいかという話ではなく、目的によって違う形であり続けているのだなと思うのです。


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2016年07月23日

BGM向けの曲

今日は一乗寺の「いるか喫茶バー」でBGM演奏してきました。今日もオリジナルを20曲以上用意していきました。
お店の人からは途中で休憩をと以前に言っていただいていますが、その間普通のBGMに切り替えるのもどうだろうと思って、結局1時間半通して弾いています。時間があるから、今日はやめとこうかなと思ってた懐かしの曲のアレンジしたものも弾きましたが、ちょっと練習不足でした。次は多分全部オリジナルで曲も増やします。
もともとBGMを前提に作曲してるわけではないのですが、穏やかな曲が多いのでちょうどいいかなと思っています。でも、もっとBGMに向いた曲を作ってもいいかな、どうしようなかと考えます。
たまに行く服屋さんでかかってるBGMがよそと少し雰囲気が違うから、たずねてみると、やはりそのお店に合わせて作曲してもらってるということでした。それは抑揚が少なく、くり返しが多い感じでした。でも何となく印象的で、こういった曲がBGM向けなのかなと思ったりしました。ちょっとトライしてみます。
来月の演奏は27日です。

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2016年07月17日

音楽でストレス解消!

今日は非営利団体「パルヨン」という、日本に住む外国人女性とその人たちを支援したい日本人をつなぐ団体の会に行ってきました。「パルヨン」というのはフィンランド語で「たくさん」という意味だそうです。私は音楽を使って何かできないか、あらかじめ代表の人にメールで問い合わせていましたが興味をもってくださったので行くことにしました。今日は定期的な会で、日本で暮らしている上で困ったことなどを外国の人たちから聞いて、日本人が答えるという形で皆で色々な話をしました。外国の皆さん大体日本語をしゃべられるので、コミュニケーションはしやすかったです。
やはり外国で暮らすということは大変で、ストレスを感じることも多いようです。私の提案した音楽イベントは、一部の人たちの感想しか聞けませんでしたが、ぜひ秋にやりましょうという方向で話がすすんでいます。皆ですぐにできることと言えば、やはり「歌」だと思いますが、それに加え「踊りたい」という希望も聞けました(笑)。歌ったり踊ったり、それはやはりストレス解消にはいいと思われたようです。こういったことは、案外、提案してみると喜んでもらえるのですが、なかなか機会はないのですね。やはり誰かがやらないと。
ひと時、音楽を楽しんだから、皆さんの抱えている問題や悩みが解決するわけではないと思いますが、心を解放してリラックスできる時間は少しでもあった方がいいのではと思います。


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2016年07月09日

「自由」について

金曜日の夜、ある人のプライベートパーティーに呼ばれて行ってきました。そこであるフランス人の女性と話をしました。彼女は長年日本に住んでいる作家で、日本の文化にもかなり詳しく、もちろん日本語も普通に話します。色々な話をしている中で、「自由」がテーマに……

私は、クラシック音楽から色々なことを学んできましたが、クラシック音楽は「こうあるべき」という観念が強いジャンルだと思うし、そういった意味で本来自由に楽しむはずの音楽とのかい離を感じることもありました。バッハにしてもモーツァルトにしても、特に古い時代の作曲家はそこまで後世の人に対して、こう演奏してもらわないと困るという思いはなかったのではと思います。原典版もあまり何も書いてないですものね。
『正しい楽譜の読み方』(大島富士子著)という本の中にも、バッハの時代は、楽譜を、自分を知っている、自分の音楽を理解できる人間のためにだけ書いたので、細かい指示はなかった、ということが書かれています。その頃の作曲家はまさか、自分がいなくなって何百年たっても自分の曲が演奏され続けるなんて夢にも思ってなかったのではないでしょうか?
今では、演奏解釈についての本がたくさんあって、それらを読んでいるとある程度の共通認識もあり、「こう演奏するべき」という基本的な「きまり」のようなものは、歴史の中で構築されていったような感じがします。
ピアノ教室などでもそのようなきまりは、ある程度共通しているように思えますし、もちろん、その中から学ぶこともたくさんあると思います。長年かけて研究されてきたことには価値もあり、それらを自分の糧にすることは大切なことだと思います。

ある程度の解釈の自由というものがあると思いますが、それもあくまで当然オリジナルを尊重したものであるべきというのが、一般的な考え方ではないでしょうか?

クラシック音楽の素晴らしさを享受しつつも、私が曲を作りだしたことは、「自由」を求めた必然だった気もします。自分の曲なら、このように弾かなければならないということはないわけで、どのように弾くのがよりいいか、弾きながら自分で考えていけばいいわけですし。でも、凡人だから長年の経験や学びがなければ、このようなことはできなかったと思っています(別にたいしたことはしてないのですが💦)。

今でもクラシックの曲を弾いて学びつつ、自分の曲を弾くことで精神の自由を感じているというようなことをフランス人女性に話すと、自分の曲でも繰り返し弾くのなら、即興演奏でない以上、自由ではないのではという感想がかえってきました。さすが、「自由」にこだわるフランス人!かもしれません。
確かに、曲を作っているときが一番自由を感じているかな。でも、演奏してる時もです。何を自由と感じるかは人それぞれなのかもしれませんね。


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2016年07月05日

モーツァルトを弾いて思ったこと

今日は久しぶりにモーツァルトをたくさん弾きました。毎日毎日ピアノを弾いたり、曲を作ったりしていると、少しずつ自分が変化していて、そのことを今日モーツァルトを弾いていて感じました。新たな気づきがあり、でもそれが具体的に何かというと難しく、ただ、この巨匠から学ぶべきことはまだまだたくさんあると思いました。当たり前でしょうけど。
音楽が前へ前へと進んで行く中でおこる心理面への影響は興味深い。わくわくしたり、はっとしたり。何がそうさせているのか、それを弾きながら感じることが私の学び方のひとつです。
日々の変化はわかりにくいけど、ある程度の時間が経過して自分が以前と変わったと実感できた時はうれしい。人との比較ではなく、自分が変わっていけることがおもしろい。こんな調子でやっていけたら幸せです!


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2016年07月04日

名前が決まらない!

さて、今から手書きの楽譜をパソコンに打ち込もうと思って、ああ、またタイトルが決まってないとストップ。
前にも同じようなことを書いている気がしますが、曲ができてからタイトルをつけるのはなかなか難しい。たまたまタイトルのような言葉を先に思いついて、曲を作る場合はイメージを膨らませばいいので、やりやすい場合もありますが、その逆は抽象的なイメージを何かの言葉で表すことになるから難しいのだと思う。音楽は音楽だとよく思います。
先日もスタジオで録音してきて、まだタイトルが決まってない曲があって、なかなかアップできなかった。何日も考えてたんですけど。曲作るより時間かかってる。
絵画でも「無題」というのもあるし、そういうのにしようかと思ったけどそれをやりだしたら、無題1、無題2、と無題ばかりになりそうな気もするから(笑)、とりあえず、なんかぴったりじゃないなと思っても名前はつけようと思います。一旦決まれば、だんだんなじんでくるし。

今これ以外に、作りかけの曲が2曲。まだ名前はありません💦。

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2016年06月18日

BGM演奏

今日は一乗寺の「いるか喫茶バー」で1時間半、BGM演奏してきました。お店の名前は村上春樹の作品に出てくる「いるかホテル」にちなんでいるそうです。マスターのこだわりが感じられるお店です。
ゆっくりと静かな時間を過ごすような雰囲気なので、音楽もそれに合わせられるようにと演奏したつもりではあります。BGM演奏がいいなと思うのは、聴く側、演奏する側があまり構えずにリラックスして音楽を共有できることかな。でも静かなお店だから、ちゃんと弾かないと雰囲気こわしそうとも思いました。
静かめのオリジナル曲18曲と、編曲を7曲用意して行って、ぱらぱら譜面をめくりながらランダムに弾きましたが、2曲弾きそびれました。途中で休憩してくださいねと言ってくださいましたが、結局ずっと弾いてました。
ちょっと物語の、ある場面のような感じもするお店で、そのお話に何か添えるような演奏ができたらなと思います。来月は23日です。

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2016年05月31日

バッハを弾く

ダニエル・バレンボイムは『バレンボイム音楽論―対話と共存のフーガ』の中で「私はバッハで育った」と書いています。またバレンボイムの親友であるエドワード・サイードも『サイード音楽評論 2』の中で「ショパンもシューマンもリストも、さらに彼らに先立つベートーヴェンもモーツァルトも、みんな揃って『平均律クラヴィーア曲集』で育ったようなものなのである」と書いています。また、シャルル・ケクランの『和声の変遷』の中の「近代の対位法技法」の中でも、「近代では、どの若い作曲家もバッハを研究しないものはないし、また―各人各様に―バッハの影響を受けないものはない」と書かれています。
ショパンがいつも平均律クラヴィーア曲集を弾いていたという話は有名だと思いますし、シューマンを弾けばバッハを研究してたんだろうなと感じられます。

良さそうなことはまねをした方がいいかなと思うし、私も平均律クラヴィーアやその他のバッハ作品は毎日弾いてますが、一体なんと果てしない音楽の世界がその向こうにあるのだろうとただただ思うばかりです。
以前に分厚い本も買って最初は張り切っていくらか読んで、その後はまあまあ…。
とにかく何より弾くことによって音楽を感じ、旋律と和声の絶妙なバランスに触れ、自分の感性が磨けたらなと願っています。地道にこつこつと、でも楽しい!

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2016年05月17日

飛び入りライブ!

夫の友だちでギターの弾き語りをしている人がいて、たまに遊びで夫は鍵盤ハーモニカやピアノでセッションしていますが、アコースティック楽器限定の飛び入りライブができるライブハウスがあるから、一緒に出ない?と誘われました(演奏は別々で)。昔むかし学生の頃、ライブハウスもよく行ってましたが、その後PAの音、電気楽器の音が苦手になって本当に長いこと行ってません。

ライブハウスの人に聞いてみたら、生ピアノはなくて電子ピアノがあるということで(アコースティックじゃないやん!)、どうしようかな?と思ったのですが、先週からスイスの友人が遊びに来ていて、ライブを見に行きたいと言ってくれてるし、出ることにしました。

他の飛び入りの人たちは常連さんかな? 慣れてらっしゃるようで、なかなかアットホームな感じで私もリラックスして弾けました(オリジナルを3曲)。
ギター弾き語りの人が多く、熱い演奏と歌が繰り広げられていました。舞台と客席が近く、直接話をしたりしながら。演奏者もお客さんも自然体で音楽を楽しんでる感じで、楽しかったです。

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2016年05月07日

「新しい」か「古い」かではなく

今ぼちぼち読んでいるシャルル・ケクランの『和声の変遷』には譜例がたくさん出てきますが、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、シャブリエ、サン・サーンス、サティ、ムソルグスキー、ビゼー、ケクラン(著者)などなど、響きとしては近代の新しい感じのものがほとんどです(ほとんど知らない曲ばかり。実際音を出してみて、ふうん、きれいなあとか、よくわらからんとか)。

でも、譜例では新しい方法を紹介しつつ、繰り返し、古い手法をおろそかにするべきでないことも念を押すように書かれています。
例えば次のように。

(序)
「私は学生たちに―これは大変大切なことである―決して不協和音の中に身を没してはならぬと注意しよう。しかるに学生はあまりにもかたくなな熱意のままにその中に溺れている。それは彼らが完全三和音の美感覚を失ったからである。完全三和音のあの洗練された内的な本質を味わうには真の教養というものが必要なのである。しかし、独創的であろうと心をくだき、平凡さをおそれるというのならまた話は別である。たしかに平凡であってはならないし、又真の美を含むものは何かの点で独創的である。しかし芸術家があらかじめ、人の踏んで来た道をさけようと考えたところで、決して独創的になったとはいえない。(中略)芸術家が斬新で個性的であるという特権を持とうとするには、ありきたりの和音を一生懸命さけたからといってそうなるものでない。また、平凡さを救うものは、多調音楽であるのでもない。」

「ここでは近代の不協和音(往々にしてやわらかい)の一般的な発展について研究すると同時に、新しい和音形式を分析するのであるが、しかし決して万能薬とも言うべきものをお見せしようというのではない。くりかえしていうが、学生諸君―および音楽会の聴衆諸君―決して、過去のものを軽蔑したり、素朴なスタイルを軽んじたりしてはならない。」

(第五章 特殊例)
「本書は新しい音楽語を研究しようというものであるが、在来の和音もなお可能であるということを指摘しておきたい。」

「作者のファンタジーや感情を正確に表現するためにどのような和声にすればよいかと言うことについては法則もなければ定まった手法もない」

「古い完全三和音またはその方式を新しい個性的な方法で用いることもできるからである。」

そして「第六章 近代の対位法技法」で、近代の作曲家たちがは皆バッハを研究し影響を受けているという話につながっていきます。

以前、武満徹について書いたことがありますが、武満徹が晩年調性音楽寄りになっていったことについてかなり批判を受けたということに、なぜそうなるんだろうと違和感を持ちました。作曲家は常に新しいものを求め続けなければならないから、それは調性を感じるものではいけないのかと。そうじゃないんじゃないかと。

それで、この本もですが、オリヴィエ・アランの『和声の歴史』や、アンリ・ゴナールの『調性音楽を読む本』を読んで、大切なのはやはり新しいとか古いとかじゃなくて、「音楽」なのだと再認識しています。著者はみんなフランス人なのですが、物事を多面的にとらえて深く考察し、こちらに考えるための色々なヒントを提供してくれるという点が共通していると感じます。芸術に、音楽に答えはないから、どのように向き合うのかということが重要であると思うし、そのことについてとても心強い助言を得た気がしています。

『和声の変遷』はまだ途中ですし、その他の本もとても密度が濃いし、また読み返して感動したいです。


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2016年05月01日

ラ・フォル・ジュルネびわ湖2016へ

今日は母とラ・フォル・ジュルネびわ湖へ行ってきました。1週間ほど前に急に行くことになって、昼間のオーケストラのコンサートはすでに売り切れていて、残席わずかのレ・パラダンのフレンチバロックコンサートのチケットを予約しました。

ホールに到着した時は、メインロビーでシマノフスキの「神話:3つの詩」という曲がヴァイオリンとピアノで演奏されていました。すでに多くの人が集まって聴き入っていました。
この場所での演奏は、横の喫茶コーナーから食器の音が聞こえたり、子どもたちが走ってたりするわけですが、その気楽さがいいなと思います。生音の迫力、魅力は多少の雑音には負けませんね。

これを聴き終わってしばらくして、予約していたコンサートのホールへ向かいました。
楽器はチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバとオルガン。そして歌。チェンバロ奏者はとても軽やかに奏でていましたが、あの楽器は一度弾いたからわかるけど、ピアノと音の出る仕組みが全然違って、鍵盤を押すとお琴みたいに弦がはじかれて音がでるから、鍵盤を押したときに引っかかった感じがしてとても弾きにくく、ピアノを弾くようには弾けない!ということを母に説明しました。

私の横には小さな男の子がいて、その横にその子のお母さんが座っていました。男の子はコンサートが始まる前からそわそわしていて、始まってからも落着きがなく、大丈夫かなと思っているとしばらくしてお母さんが男の子を抱っこしました。すると、とてもおとなしくなって、ちらっと見るととても安らかな顔ですっかりお母さんに体をあずけています。音楽もよかったですが、なんかそのほのぼのした様子にじーんときました。お母さんも普段はなかなか何もせずにじーっと抱っこしている機会はあまりないかもしれないし、親子にとっていい時間なんじゃないかなと勝手に思っていました。ラ・フォル・ジュルネの良いことのひとつは小さな子を連れてこられることでしょうね。お金を使わなくても、メインロビーのコンサートだけでも楽しめる。お子さんに生音を聴かせてあげるいい機会だと思います。
前回来たのは2年前ですが、久々に来てやはりいい音楽祭だなと思いました。


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2016年04月30日

スーパーアンプで

今日は夫がリフォームの設計をして去年完成した知人の町家に招待していただきました。うちの夫婦と別にもう一組のご夫婦も来られましたが、だんなさまは夫の知り合いのアンプ作りのプロで今日おじゃました家のお施主さんご夫婦にご紹介して、竣工の際、アンプとスピーカーを用意していただきました。

あれから1年たち、家の中を案内してもらいましたが、坪庭づくり、様々な棚や造りつけ家具、裏庭の屋根工事など、お二人のアイデアやまめさには驚かされました。完成度も高い!
家に愛着を持って、手を入れることを楽しんでくれていて、よかったなと思います。

さて、夫がぜひにというので、私が作ってスタジオで録音した曲をCDに入れて、スーパーアンプとスピーカーでならしていただくことに。
それまでかかっていたアンプ作りの方の持ってこられたジャズを止めて、かけてくださいました。食事をしながらBGMとして聴いていただくとは、なんとありがたいことでしょう。それまでかかっていた軽快なジャズに比べて、ちょっとしんみりした感じもしましたが、とりあえず会話のじゃまにはならなかったかな。こんなことしてますという自己紹介のようなものですね。さすが良い音でした。

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温かなおもてなしに感謝です!


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