2016年05月17日

飛び入りライブ!

夫の友だちでギターの弾き語りをしている人がいて、たまに遊びで夫は鍵盤ハーモニカやピアノでセッションしていますが、アコースティック楽器限定の飛び入りライブができるライブハウスがあるから、一緒に出ない?と誘われました(演奏は別々で)。昔むかし学生の頃、ライブハウスもよく行ってましたが、その後PAの音、電気楽器の音が苦手になって本当に長いこと行ってません。

ライブハウスの人に聞いてみたら、生ピアノはなくて電子ピアノがあるということで(アコースティックじゃないやん!)、どうしようかな?と思ったのですが、先週からスイスの友人が遊びに来ていて、ライブを見に行きたいと言ってくれてるし、出ることにしました。

他の飛び入りの人たちは常連さんかな? 慣れてらっしゃるようで、なかなかアットホームな感じで私もリラックスして弾けました(オリジナルを3曲)。
ギター弾き語りの人が多く、熱い演奏と歌が繰り広げられていました。舞台と客席が近く、直接話をしたりしながら。演奏者もお客さんも自然体で音楽を楽しんでる感じで、楽しかったです。

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2016年05月07日

「新しい」か「古い」かではなく

今ぼちぼち読んでいるシャルル・ケクランの『和声の変遷』には譜例がたくさん出てきますが、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、シャブリエ、サン・サーンス、サティ、ムソルグスキー、ビゼー、ケクラン(著者)などなど、響きとしては近代の新しい感じのものがほとんどです(ほとんど知らない曲ばかり。実際音を出してみて、ふうん、きれいなあとか、よくわらからんとか)。

でも、譜例では新しい方法を紹介しつつ、繰り返し、古い手法をおろそかにするべきでないことも念を押すように書かれています。
例えば次のように。

(序)
「私は学生たちに―これは大変大切なことである―決して不協和音の中に身を没してはならぬと注意しよう。しかるに学生はあまりにもかたくなな熱意のままにその中に溺れている。それは彼らが完全三和音の美感覚を失ったからである。完全三和音のあの洗練された内的な本質を味わうには真の教養というものが必要なのである。しかし、独創的であろうと心をくだき、平凡さをおそれるというのならまた話は別である。たしかに平凡であってはならないし、又真の美を含むものは何かの点で独創的である。しかし芸術家があらかじめ、人の踏んで来た道をさけようと考えたところで、決して独創的になったとはいえない。(中略)芸術家が斬新で個性的であるという特権を持とうとするには、ありきたりの和音を一生懸命さけたからといってそうなるものでない。また、平凡さを救うものは、多調音楽であるのでもない。」

「ここでは近代の不協和音(往々にしてやわらかい)の一般的な発展について研究すると同時に、新しい和音形式を分析するのであるが、しかし決して万能薬とも言うべきものをお見せしようというのではない。くりかえしていうが、学生諸君―および音楽会の聴衆諸君―決して、過去のものを軽蔑したり、素朴なスタイルを軽んじたりしてはならない。」

(第五章 特殊例)
「本書は新しい音楽語を研究しようというものであるが、在来の和音もなお可能であるということを指摘しておきたい。」

「作者のファンタジーや感情を正確に表現するためにどのような和声にすればよいかと言うことについては法則もなければ定まった手法もない」

「古い完全三和音またはその方式を新しい個性的な方法で用いることもできるからである。」

そして「第六章 近代の対位法技法」で、近代の作曲家たちがは皆バッハを研究し影響を受けているという話につながっていきます。

以前、武満徹について書いたことがありますが、武満徹が晩年調性音楽寄りになっていったことについてかなり批判を受けたということに、なぜそうなるんだろうと違和感を持ちました。作曲家は常に新しいものを求め続けなければならないから、それは調性を感じるものではいけないのかと。そうじゃないんじゃないかと。

それで、この本もですが、オリヴィエ・アランの『和声の歴史』や、アンリ・ゴナールの『調性音楽を読む本』を読んで、大切なのはやはり新しいとか古いとかじゃなくて、「音楽」なのだと再認識しています。著者はみんなフランス人なのですが、物事を多面的にとらえて深く考察し、こちらに考えるための色々なヒントを提供してくれるという点が共通していると感じます。芸術に、音楽に答えはないから、どのように向き合うのかということが重要であると思うし、そのことについてとても心強い助言を得た気がしています。

『和声の変遷』はまだ途中ですし、その他の本もとても密度が濃いし、また読み返して感動したいです。


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2016年05月01日

ラ・フォル・ジュルネびわ湖2016へ

今日は母とラ・フォル・ジュルネびわ湖へ行ってきました。1週間ほど前に急に行くことになって、昼間のオーケストラのコンサートはすでに売り切れていて、残席わずかのレ・パラダンのフレンチバロックコンサートのチケットを予約しました。

ホールに到着した時は、メインロビーでシマノフスキの「神話:3つの詩」という曲がヴァイオリンとピアノで演奏されていました。すでに多くの人が集まって聴き入っていました。
この場所での演奏は、横の喫茶コーナーから食器の音が聞こえたり、子どもたちが走ってたりするわけですが、その気楽さがいいなと思います。生音の迫力、魅力は多少の雑音には負けませんね。

これを聴き終わってしばらくして、予約していたコンサートのホールへ向かいました。
楽器はチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバとオルガン。そして歌。チェンバロ奏者はとても軽やかに奏でていましたが、あの楽器は一度弾いたからわかるけど、ピアノと音の出る仕組みが全然違って、鍵盤を押すとお琴みたいに弦がはじかれて音がでるから、鍵盤を押したときに引っかかった感じがしてとても弾きにくく、ピアノを弾くようには弾けない!ということを母に説明しました。

私の横には小さな男の子がいて、その横にその子のお母さんが座っていました。男の子はコンサートが始まる前からそわそわしていて、始まってからも落着きがなく、大丈夫かなと思っているとしばらくしてお母さんが男の子を抱っこしました。すると、とてもおとなしくなって、ちらっと見るととても安らかな顔ですっかりお母さんに体をあずけています。音楽もよかったですが、なんかそのほのぼのした様子にじーんときました。お母さんも普段はなかなか何もせずにじーっと抱っこしている機会はあまりないかもしれないし、親子にとっていい時間なんじゃないかなと勝手に思っていました。ラ・フォル・ジュルネの良いことのひとつは小さな子を連れてこられることでしょうね。お金を使わなくても、メインロビーのコンサートだけでも楽しめる。お子さんに生音を聴かせてあげるいい機会だと思います。
前回来たのは2年前ですが、久々に来てやはりいい音楽祭だなと思いました。


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2016年04月30日

スーパーアンプで

今日は夫がリフォームの設計をして去年完成した知人の町家に招待していただきました。うちの夫婦と別にもう一組のご夫婦も来られましたが、だんなさまは夫の知り合いのアンプ作りのプロで今日おじゃました家のお施主さんご夫婦にご紹介して、竣工の際、アンプとスピーカーを用意していただきました。

あれから1年たち、家の中を案内してもらいましたが、坪庭づくり、様々な棚や造りつけ家具、裏庭の屋根工事など、お二人のアイデアやまめさには驚かされました。完成度も高い!
家に愛着を持って、手を入れることを楽しんでくれていて、よかったなと思います。

さて、夫がぜひにというので、私が作ってスタジオで録音した曲をCDに入れて、スーパーアンプとスピーカーでならしていただくことに。
それまでかかっていたアンプ作りの方の持ってこられたジャズを止めて、かけてくださいました。食事をしながらBGMとして聴いていただくとは、なんとありがたいことでしょう。それまでかかっていた軽快なジャズに比べて、ちょっとしんみりした感じもしましたが、とりあえず会話のじゃまにはならなかったかな。こんなことしてますという自己紹介のようなものですね。さすが良い音でした。

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温かなおもてなしに感謝です!


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2016年04月21日

音楽性というものは

少し前に、シャルル・ケクランの『和声の変遷』という本を買いました。京都芸大図書館で下見をして、欲しいと思っていました。でも古い本で普通の本屋さんでは手に入らないのでネットの古本屋さんで見つけました。紙は茶色くなってるし、所々鉛筆で書き込みもあり(消しゴムで消せるからよかった)、少したばこのようなにおいもしますが、それでも見つかってよかった。

譜例がたくさんあって、音を出しながら読み進めていていますが(参考になってるかどうかわかりませんがとりあえず)、音を出せる時間帯はなるべくピアノの練習や作曲などをしているので、なかなか先に進みません(ようやく5分の1くらいで止まってます)。でも、すでに興味深いことがいくつかあって、それは理論についてというより、音楽への向き合い方のような考え方についてです。

一例をあげてみます。途中の「特殊例」という章に次のようなことが書かれています。

「和声学の法則や禁止が現代の音楽家によって大抵は破られている。五十年前の人たちはそれほどこれらの法則を犯さなかった。そして十八世紀 ―あるいはそれ以前の― 大家たちは、これらの法則とは全然ちがう用例をしめした。ベートーヴェンの考え方(彼曰く、“法則は私のする通りになっている”)や、グルックの考え方(“音楽として要求されるならば、私の犯さなければならぬと信じたものはもはや法則ではない”)については既に誰もが知っていることである。」

(中略)

「音楽性というものはきわめて神秘である。どの作曲家もみな同じ音楽性をもっているということはない。ただし音楽性が存在するという点では、すぐれた音楽家たちはみな共通している。(しかし場合によっては意見の異なることもある)
“美の法則”を数理的に樹立しようという理論にとっては、音楽性というものは厄介なものである。“芸術の数理的理論”というものは論じる価値はあるが、それは量的には説明しえない要素を含んでいる。つまり、その要素というのは、質的なものであって量的なものでないところの人間の感情である(ベルグソン)。
この人間的な要素がつねに芸術の根底にある。それは数だの大きさだのによっては分解できないものである。人間の魂とその表現(芸術の物的手段によってなされる表現)、この間の関係は、心と物、質と量、無限と有限等におけると同様に神秘なものである。
したがって、過去および現在の大家たちの作品に見出される数多くの特殊例は一々非難したり懸念したりする必要はない。今日以降も、またちがった特殊例が見出されるであろう。そして、それらはすべて理論では証明できぬものであろう!」

“人間の魂とその表現”。まさに、日々その狭間を行き来している気がします。音楽性とは神秘であり、無限ですね。どこにも答えはないから終わりがない。

理論の部分はまあまあ適当にとばしつつ目を通して、こういった部分は何度も「そうそう」と思いながら読み返している感じです(笑)。


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2016年04月19日

楽しみにしてくださる方たちに感謝!

月曜は児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。今日も多くの親子が来られてて(生後1か月の赤ちゃんも!)一緒に楽しい音楽の時間を過ごしました。プチコンサートではシューマンの小品と自分の編曲を。
帰り際、あるお母さんと少しお話をしたのですが、その方が、ピアノのイベントは子どものためというよりお母さんが聴きたいから来てるんですよ!と言ってくださいました。その方は以前も私のアレンジした曲について質問されていたし、音楽好きな方だとは思っていましたが、とてもうれしかったです。お母さん方から直接感想を言われることは少ないので、どう感じてらっしゃるかはいつも気になっています。色々な曲を弾きながら、ささいなリアクションを察知して(笑)、それなりに感じてはいますが。スタッフの方から音楽好きな方たちが来られているようですよ、とは聞いています。

3月の子育て講演会で弾いた「きらきら星変奏曲」(モーツァルトじゃなくて私の簡単な)がとてもよかったとも言ってくださいました。
実はこのあたりの曲は、誰もが知っているような曲を編曲したもの(なるべくわかりやすい感じで)もあった方が、楽しんでいただけるのではと思って作っています。なので、私が今作っているような曲とはだいぶ感じも違うのですが、ここが悩ましいところです。自分が作りたいものと求められている気がするもののギャップがあるよな〜と。まあ、多分どちらも作ることになるかな?
小さい子がいたらなかなか聴きに行ったりできないじゃないですか、という言葉を聞くと、そういう人たちにとってのささやかでも楽しみの場であるならうれしいことです。


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2016年04月17日

緑の中の工房

今日は、夫がリフォームの設計をさせてもらった友だちの工房をのぞいてきました。なかなかいい感じになっていました。
建物のどの窓からも緑が見えます。まさにピクチャーウインドウ! 常に変化し続ける、生きた「絵」ですね。なんとぜいたくなことでしょう。
友だちは、毎日自然からエネルギーをもらって、ますますパワーアップしそうです。

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2016年04月01日

インディーズ映画上映会

おととい、京都国際インディーズ映画祭を運営されている京都メディア・アート・ラボ企画の上映会へ行ってきました。場所は室町御池上るの『遊子庵』。町家です。
スタッフの方も入れて10人ほどのこじんまりした上映会でしたが、TVF(東京ビデオフェスティバル)の受賞作のうち短い映画を4本(ドキュメンタリー3本、アニメーション1本)を鑑賞し、映画の間や終わってから映画の話やさまざまな話をたくさんしました。
京都国際インディーズ映画祭は今年で10年目ということでTVF(東京ビデオフェスティバル)からTVF文化功労賞を受賞されたそうです。
私はたまたま今回の上映会を知って、ぜひ行ってみようと思いました。インディーズ映画でどんな音楽が使われているか興味があったからです。
ドキュメンタリーの3本は、どれも重たいテーマでインタビューをメインとした構成になっていて、そういった映画に「音楽いる?」と感じられないようにさりげなく音楽を入れるのって難しいのではと思いました。3本とも音楽は控えめでした。
アニメーションは、より音楽は自然な感じがしました。物語であるし、音楽自体も良かったのではと思います。

映画も皆さんのお話も興味深く、楽しい時間を過ごしました。


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2016年03月19日

グリーグ節?

昨日スタジオで録音したのは、昨年作ってすでに家で録音している曲ばかりで、今も何曲か作りかけていますが、なんとなく気持ちを新たにしたいような心境で、はたと、グリーグの「抒情小品集」を弾こうと思いました。
どの作曲家の作品もですが、曲を作り出してからはそれ以前よりも興味深く感じられます。
グリーグの抒情小曲集は短めの曲ばかりで、私が曲を何曲か作った頃に私の抒情小曲集を作っているような気になったことがあります。以前に何曲かは弾いたことあるのですが、弾いたことない曲の方が多くて、最初から順番に弾いてみるとおもしろい。昔、舘野泉さんの演奏をCDで聴いていたことがあり、一応66曲全部知っていますが、聴くのと弾くのとではやはり弾くのがおもしろい。さらさら弾けなくても、音を出すことそのものが楽しい。特に今はたくさんの発見があり、わくわくします。
グリーグは北欧のショパンとか言われているようですが、独特のムードがありますね。グリーグ節なのか、北欧節なのか(笑)? 民族的な雰囲気と現代的な響きがある。けっこう凝っている。
そもそも、民族音楽は西洋音楽の短調、長調にあてはまらないものが多いから、そういう要素が入ると調性があいまいになって、現代的な響きにもなる。
おもしろがって、全部弾こうかと思いましたが、30曲くらいで3時間近くかかった(ゆっくりめに弾いたので)からあきらめました(笑)。また続きは今度。


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2016年03月14日

ロームシアターへ

日曜日、夫とロームシアターへ行ってきました。1月にオープンしたから一度見てみたいと思って、先月行ってみようかと行ってみると京都マラソンのために閉まっていました。岡崎エリアはゴールなんですね💦。

特に用はなかったのですが、建物を見るのと、蔦屋ができたからのぞいてみるくらいのつもりで行きました。改築した部分と新築した部分があると聞いてましたが、落ち着いた雰囲気でなかなか良いのではと思いました。でも蔦屋とスターバックスができたり、横の公園とつながったりしたからでしょう、オープンな感じになり人もたくさんで、京都会館の時よりもだいぶにぎわっているのではないでしょうか。コンサートがなくても行ける場所になりました。
実際、私たちも市立美術館や府立図書館のあるこのエリアには時々行きますが、私は京都会館は多分10代の頃から行ってないです(何十年も!)。今回の増改築によって、人がたくさん来る場所となり、建物がより生かされるのは良いことだと思います。


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蔦屋の3階は図書館のような閲覧コーナーがあり、数はそんなに多くないですが(アート系が多い。それでもわりと色々な本がある)、お茶を飲みながらゆっくり読書ができる!というのがすごい。私たちもスターバックスでコーヒーを買って3階へ。

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パラパラと本をながめ、それから同じ階で上映されていた、小澤征爾さんの音楽塾で公演されたラヴェルのオペラ『子どもと魔法』を見ました。部屋は開けっ放しで出入り自由、小さなスクリーンの前に椅子が並べられていましたが、人もまばらで途中で出ていく人も。40分ほどの劇でしたが、私は特に音楽を興味深く聴きました。終わってからポスターがすてきだったから写真を撮ってもいいですかと聞くと、だめといわれました(なんでやろ?)。あまり人も見に来てなかったし、宣伝になると思ってくれればいいのに、残念です。

今はまだ観光客の多くない季節だと思いますが、もうすぐ桜です! すぐ横は桜の名所のひとつ平安神宮。すでに蔦屋の店内はスターバックスのコーヒーを注文する人の列で混んでましたが、なんかすごいことになりそう(笑)。



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2016年03月10日

京都芸大の図書館へ

今日は京都市立芸術大学の附属図書館まで行ってきました。探している本が何冊かあったのですが、どれも出版されたのがずいぶん昔で、本屋さんにはもちろんなく、市立・府立の図書館を検索しても見つからず、学術書のデータベースをネットで調べていたら京都では芸大などにあることがわかりました。

そのうち『和声の変遷』(Ch.ケクラン著)と『近代和声学』(松平頼則著)は図書館の書庫から出してもらいました。あとは本棚をチェックして目当ての本やそれ以外の面白そうな本を何冊かぱらぱらとめくったり、気になるところは読んだり。大学は春休みでしょうから、人もまばらで2時間ほどゆっくりと読書できました。学生ではないから閲覧のみなので、後からまた調べたり、買ったりするために本のタイトルや出版社をメモしました。

上の2冊はやはり良さそうなので、なんとか古本を手に入れたいと思っています。その他にもぜひ欲しい本が。

私の読む本は、ほとんど実用的な本ばかりですが、知識を得るだけでなく多くの気づきがあります。もちろんそれは著者がある信念を持って書いている本だからです。そういう本に興味をもちます。知識の方は忘れたらまた調べればいいのですが、気づきは自分の考え方を変えたり、その後の取り組みを左右するほど影響力があることがあります。

つい最近は『和声の歴史』(オリヴィエ・アラン著)と『和声の変貌』(エドモン・コステール著)を図書館で借りて読んでいて、なんかタイトルに「和声」がつく本ばかりですが(笑)、自分なりに追求していることがあってのことです。自分の中にぼんやりした疑問があって、そのことについてある程度納得できる答えを導きたい。
『和声の歴史』はとてもよかったので、また別の機会に書ければと思いますが……

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2016年03月07日

「子どもにとって音楽って?」

今日は近くの保育所・児童館の「子育て講演会」を担当させていただいて、午前中1時間、お話や演奏・伴奏などをしてきました。毎月保育所2階の児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」でピアノを担当していますが、子育て講演会ではテーマもプログラムも全部私が考えてやらせていただきます。
昨年もやらせていただいて、その時は子どもの聴覚やリズム感、子守歌などを中心とした内容でした。
今回は「子どもにとって音楽って?」というタイトルにしました。

サブタイトルは
・「子どもにとって音楽とは?」
フリッツ・イェーデの「子どもは喜びの気持ちを歌にする」という言葉などを引用して、子どもは生きている喜びを音楽を通して表しているというようなお話です。

・「なぜ音楽が大切か?」
音楽は人間のコミュニケーションの一つのかたちであり、音楽を使ってコミュニケーションの力をつけていくという側面からお話しました。

・「どのような音楽環境を作ってあげようか?」
何か特別にというより、安心して楽しみながら音楽体験できることが良いということ。童謡やわらべうたなどやさしい音楽がよりまねしやすく、歌やおどりを通してみずから表現するという行為につながっていく。

おおざっぱに言えばお話はこんな感じの内容でした。

演奏は私のオリジナル曲を4曲、編曲したものを2曲(きらきら星、チューリップ)やりました。チューリップ変奏曲が子どもたちもよく体を動かして反応してくれていたようです。
この曲はわりとリズミカルですが、やはり子どもはリズムが好きかな(去年したお話)。

保育所の担当の方の提案で、パネルシアターをプログラムに入れました。「はらぺこあおむし」でピアノ伴奏はリズミカルだったり、しんみりしたり、よくお話に合わせて作られています。

それから、「即興わらべうたつくり」というのをやりました。2つの音でわらべうたができてしまうということを説明して、実際に適当にファとソの音をランダムに並べかえて歌ってみるとわらべうたに聞こえるでしょう?と同意を求める(笑)。あとでスタッフの1人が「そうなんや」と感心してました。
お母さんたちに、ぜひおうちで試して、お子さんに歌ってみてあげてくださいねと言いました。試してくれるとうれしいな。

最後は、昨年リズム遊びのために作っていただいたビーズなどの入ったかわいいマラカスをみんなに持ってもらって、森のくまさんやおもちゃのチャチャチャなどを歌いました。
今日のお話のまさに、安心して楽しみながらの音楽体験だと思います。実際歌が歌えるお子さんは少なかった(まだ小さくて)と思いますが、お母さんは歌っているし、マラカスは音がするし、楽しいという感覚は持ってくれてると思っています(毎月のイベントでも)。

いい講演会だったかどうかわかりませんが、しゃべったりピアノ弾いたりでなかなか濃い、楽しい1時間でした。


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2016年03月01日

『オペラをつくる』より

『オペラをつくる』(武満徹・大江健三郎著/岩波新書)という本を多少おおざっぱに読みました。この本は1990年に出版されています。武満さんが66歳で亡くなる6年前です。
実際に具体的なオペラ作品をつくる過程というよりも、ブレーンストーミングを行っているような内容で、様々な小説、映画、オペラを例にあげ、表現ということについて多くのことが考察されています。
武満さんがオペラに興味を持ち始めたのも、既成のオペラの影響よりも、文学、映画、演劇などの表現方法から色々な刺激を受けてのことのようです。

ここに紹介されているような、小説、映画は恐らく私はあまり読んだり観たりしたくないようなものが多そうだなというのが私の感想ですが(経験上、いくらそこに多くの意味が含まれていても読んだり観たりしたあとに気持ちが重くなるものが苦手なので)、その肝心な作者が作品で表現したいもの、その手段などについて両者は語っていて、物語についてはごく簡単な説明のため、あまり重い気持ちにならずに(でも想像してしまう)そういう見方もあるのか、と興味深く読める部分がたくさんあります。

武満さんは音楽家として、大江さんは作家としての表現について多くを語られていますが、やはり作曲家の武満さんの言葉により興味があります。音楽やそれ以外のことから何を感じていらっしゃったのか。少し長いですが、そのうちの一部分を引用したいと思います。

「こんなことは人に話すことではないし、ことに音楽を専門としている人が聞いたら笑うかもしれないけれども、僕はどういうわけか、鯉の滝上りじゃないけれど、歴史を逆に歩いている、音楽史を逆に歩いているみたいなところがある。やっと最近になって古いものに興味を持ち出してきた。自分ではそのことを非常に警戒しています。老化じゃないか、精神が弱くなってきているんじゃないか、肉体が衰えてきたから精神も弱くなってきているのじゃないかなどと思いますが、そうとばかりも言えないたとえばモーツァルトを聴いたり、ベートーヴェンを聴いていると昔よりたいへん打たれるときがある。それはどういうことに打たれるかというと、僕も曲がりなりに音楽を三十年以上やってきて、ある程度技術的、経験的に、自分の技術でこういう音楽をつくることができるといちおうはわかる。しかし、モーツァルトをなにげなく聴いているとき、自分がいままで取得した技術で、これはこうなっているからこういうふうにひびいているのだということはわかる。
ところが真面目に、僕が主体的に真面目になるのではなく、モーツァルトの音楽がたまたま真面目にさせるのですが、ちょっと聴いてみると、僕はとてもこういうふうにはできないという異常なものが見える。
それは具体的にどんなことなのかというと、たとえばモーツァルトの晩年のシンフォニー(四十番)をみると、主題である旋律は実に簡単なものだ。たった二つの音しかないのですが、それですべての音楽の力学というか、これは西洋音楽のことですが、はっきりわかる。たった二つの音のつながりだけなのに、そこに他の音楽とはまったく異なった独自のひびきの世界がある。そういうことがなぜ生ずるのかということは、いまの僕には非常に大きな問題なんです。
自分の技術でいろいろな旋律をつなげてあるアラベスクをつくって、おもしろい音響空間をつくるということは、さほどむずかしくはないです。ところが、たった二つの音で、これはベートーヴェンもそうです。タタタターン(運命)。そこに総体としてあるものの重さは、そんなに単純なものじゃないということがわかるのです。それはある程度自分が音楽をやってきて自ずからわかってきた。そうしたことを理解できるようになったことが、はたしていいか悪いかはわからないです。モーツァルトにしてもベートーヴェンにしても、"最後の作品" といえるようなものを書いている。そういうものをいくらか理解できるようになった。感覚的にも理解できるし、知的にも理解できる。総体として人間の表現というか、それを書かずにはいられなかった人間というものをいくらか身近なものに見えるようになったのです。
それは作曲の技術とか、そういうことで言えばなんでもなく解析される事柄でしかないのですが、しかし、たった二つの音をつないでいる意思というか、それは物理では説明できないものです。そういうものが人間を動かしている。そうなってくると西洋音楽だろうが、アフリカの音楽だろうが、東洋の音楽だろうが、なんの関係もないのではないかと思えてきます。
そうした根底的に、普遍的な原理というものは、大きなオペラをつくるときにことに大事なのではないかと思います。非常に単純でいて複雑。うまく言えませんが、自分が音楽をやってきて、直感的にそう思うようになってきた。しかし、自分がこういう音楽をやってきて、最初に西洋の音楽をはじめて、途中で伝統的な日本の音楽に気づいたり、他の音楽に気づかされたりして、しかもやっぱり西洋音楽のなかにある ― もちろん西洋の中にもつまらない、装飾的な、芸術音楽としてつまらないものがあり、おもしろかったり、慰められたりするものはあるのですが、そうじゃなくて ― 本当に最初のもので、同時に最後のものであるようなもの。永遠なるものをいつももっているようなものが、西洋芸術のなかに多くあるのではないかと思います。」

この始めのあたりを読んで、私はどちらかというとバロックからロマン派くらいまでの形式に無意識にとらわれていた部分があると最近意識し始めたので、逆かな?と思ったりしました(振り返ればロマン派のあとの作品よりもはるかに長い時間それ以前の作品に接してきている)。
それで引用して記事にしてみようと思いました。そこから後の部分もいいことが書いてあるので続けました。

武満さんはドビュッシーが好きなようでしたが、ドビュッシーは古典的な手法をどんどん壊していったような人で、武満さんはそのあたりからスタートして何年もたって古典に向き始めた。
私はむしろ、もっと新しいものを聴いたり研究した方がいいなと最近思って、すでに取り組み始めています。
好き嫌いはともかく、それほど積極的でなかった新しめの音楽も聴くようにしています。やはり選曲はしますが(無理なものは無理(笑))。そうすると案外、いいなと思うものにも出会います。シャルル・ケクランやその弟子のタイユフェールなども最近聴いている作曲家の一部です(クープランもケクランの弟子と最近知りました)。

実際武満さんは、1994年のリヨンの新しいオペラ劇場こけら落としの作品を委嘱されてたんですね。
志半ばで、さぞ残念だったと思います。


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2016年02月18日

久々にシューマン

今日はものすごく久しぶりにシューマンを弾きました。しばらくほとんど興味を失っていたんですけど(笑)。なんか、ふと弾いてみようと思いました。ダヴィッド同盟舞曲集や謝肉祭などから、ちょこちょこ選んで。弾きだすとおもしろくて1時間以上すぐにたってしまいました。シューマンの作品ってバラエティに富んでいると思うんですね。
曲を作り出してからシューマンを弾くのは初めてのような気がしていますが、やはり以前と比べると弾いてて色々と気づきがある。他の作曲家もそうですが。
これまで作曲関連の本は色々と読んでいますが、あまりおもしろいものではない(笑)。実際、それを読んだから曲をつくれるわけでもない。自分の好きな曲こそが、興味と感動をもって向き合える最高の教材です。わくわくしたり、ジーンときたりするその体験こそが今まで積み上げてきた財産です。

春ごろにはスタジオ録音したいなと思っていて、そのために練習をしたいし、新しいアイデアがどんどんあるので曲も書いてるし(前よりいいのを作りたいと思うので止められない(笑)、クラシックの好きな作品を弾いて感動してそれを栄養にしたいし、なかなか時間の配分が難しいです。


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2016年02月12日

「即興曲」とは

「即興曲」をネットで調べると、例えば「19世紀の器楽曲の曲種の一つ。即興演奏によって作られるのではないが,楽想を即興的に自由に展開した小品。」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)のように説明されています。
つまり、即興で弾くというのはその場で弾くことだけど、即興曲はそうではないということです。即興演奏といえばジャズを思い浮かべますが、前回のブログでも少し書きましたように(山下洋輔さんの話)、何のストックもなしにはできないわけで、音楽経験からたくさんの音楽的要素が頭の中にたくさんあってそれを使うということですね。例えばほとんど音楽を聴いたことも演奏したこともない幼児が楽器で何かを弾いたとしてもそれは音の羅列であって、音楽ではないでしょう。

私は昨年から作曲・編曲をしていますが、今まで録音していないものも含め小品を50曲以上作りました。特別、作曲法というようなものを意識せず、頭の中に浮かぶモチーフからどんどん曲を作っていきました。それで、改めて私の作ってたのは即興曲に近いなと思ったのです。まさに、「楽想を即興的に自由に展開した小品!」。どうして曲ができてしまうのかといえば、それは私の頭の中にたくさんの音楽があるからで、人前ですらすら即興演奏はできませんが、少し考えながら次々と浮かんでくる音楽を楽譜に書いていくことはできる(作品のできばえはさておき)。

最近そのことに思い至り、今作っている曲も作り方は近いですが、少し時間をかけていじっています。それはそれでおもしろい。今後は少しずつやり方も変わっていく予感。

今日はダブリン(アイルランド)の作曲家がフォローしてくれました。まだまだフォロワー少ないですけど、英語で発信していれば音楽をキーワードに世界の人とつながれる楽しさがあります。ほんとうにわくわくします。


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