2016年01月19日

「福袋コンサート」

最近、作曲とImprovisation(即興)の関係についてあれこれ考えているさなかですが、今日はパブロ・エスカンデさんからお招きいただいたコンサートに行ってクラシック音楽を楽しんできました。日本テレマン協会のマンスリーコンサート(室内楽)ですが、今日のタイトルは「New Year's Gift 福袋コンサート」でした。さすがパブロさんらしく、テレマンからクライスラーまで変化に富んだ楽しいプログラムでした。
ゲストのソプラノが歌われた、ヨハン・シュトラウス二世の「春の声」の演奏はワルツのリズムにとてもわくわくしたし、クライスラーの「プレリュードとアレグロ」は大好きな曲で、生で聴けてやったーという感じでした。素晴らしい演奏でした。
これらの曲は花があるというか、気持ちが高揚しますね。静かな曲が心を安らかにするのに対して対照的で、どちらも音楽の素晴らしいところだと思います。

パブロさんは前半はチェンバロ、後半はピアノ伴奏でしたが、本当に何でも弾かれるしいつもすごいなと思います。
そうやって聴きながら、いつも自分の音楽についても考えています。いい刺激となります。

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2016年01月15日

「生」とは

「ゆ〜るりぶろぐ」でも書いていたと思うし、このブログもどこかで書いた気もしますが(記事が多くなるとだんだん把握できなくなる)、また『フリッツ・イェーデの音楽教育』-「生」と音楽の結びつくところ(小山英恵著/京都大学学術出版会)の中から引用します。

「イェーデにとって「生」とは、ニーチェの言う「生」と同様に、すでに硬直した知識や物質的なものではなく内面的なものの絶えざる生成であり、機械的なものではなく有機的なものであったといえる。(中略)
また、イェーデにとってこの「生」とは、各専門分野への個別化と対極にあるものを意味した。イェーデは、音楽、絵画、文学、宗教、哲学、数学といった専門分野が互いに関連なく存在することを批判する。それらは人間の内面において1つであり、「その破壊は、われわれが人間であることの切断を意味する」とした。イェーデは、これらが1つであることの感覚は、学校によって切断される前の「子どもの中に無意識に生きている」ものであると述べている。つまりイェーデの言う「生」には、人間が本来もつ内面の全体性という意味も含まれていた。」

「フリッツ・イェーデは、20世紀初頭のドイツにおいて活躍した音楽教育実践家であり、青少年音楽運動の指導者」(引用)ですが、時代も国も違っても彼の指摘する問題は現代日本でもあてはまりそうですね。

これを読んだ時、幸い私はもしかしたら学校によって切断されなかったのかなと思いました。音楽が一番ですが、その他にも色々興味があります。内面でつながっているという認識もあります。そのように認識できるようになったのはわりと最近ですが。
例えば、モーツァルト、茶花、いわさきちひろ、が好きなことは私の中の価値観によってつながっています。

音楽家の本などに、表現力を高めるには音楽ばかりでなく、他の芸術に触れたり、本を読んだり、色々なことを経験することが大切であると書かれていたりします。でも、私にとってはそれは、音楽の表現のためにという意識ではなく、ごく自然なことです。好奇心のあるものはなんでも自分の中でつながっているから。

まずは私という「個」があって、色々なことを感じて、考えて、たまたま音楽が大好きで、それが私の表現手段として一番なのだと思っています。


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2016年01月11日

懐かしい歌

実は中学の時、合唱部でした。1年生の1学期はなぜか体操部に入っていたのですが(もともと活発な子供でしたから)、音楽の先生に勧められて合唱部に移りました(そんなに歌うまくないんですが)。
部員は兼部の男子も含めて100人くらいの大所帯でした。合唱は学校でちょっとしたブームでもあったように思います。今でもNHK合唱コンクールの曲やいくつかの合唱曲を覚えています。
1度だけ毎日放送かどこかのコンクールに二重唱で参加しました(私はアルト)。一緒にもう一組三重唱で参加した仲間もいました(私、伴奏した気がするけど記憶があいまい)。その時の音源がテープに録音してあってその後何度か聞いていますが、さすがに古くてテープが伸びてしまって多分もう聞けない(-_-;)。
歌は覚えているんですが、あの曲のタイトルは何だっけと気になって、出だしの歌詞で検索したら見つかったからインターネットってやはりすごい!
『秋の歌』なんですが、なんとメンデルスゾーンの曲で日本語訳は吉田秀和さん! 知らんかった(忘れたのかも?)。吉田秀和さんと言えば、貴重な『モーツァルトの手紙』を翻訳した音楽評論家。

三重唱の方は、『遥かな友に』。これは日本の歌で、磯部俶さん作詞・作曲(1951年)。

Youtubeにももちろん、あります。
『秋の歌』
すごい、私たちが歌った同じ曲とは思えない! 私たちはもっとゆっくり歌いました。日本語で。

『遥かな友に』
YouTubeは男声合唱。友だちは女声三重唱でした。なんか、泣けますね、この曲。じわーっときます。

美しいハーモニーは、曲を作る時いつも意識することですが、声楽のハーモニーの溶け合う魅力はまた格別な気がします。
曲のタイトルが思いだせて、またすばらしい歌もYouTubeで聴けて、よかったです。


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2016年01月08日

世界の子守歌

昨日、自転車に乗りながら、ふと子守歌を作ってみようかなと思っていたら、モチーフを思いつきました。ああ、タイミング悪いなと思いましたが、生協に行く途中だったので生協の自転車置き場に着くとiphoneを取り出して、まわりを見てあまり近くに人がいないのを確認して、ボイスメモに録音しました(怪しい(笑))。
でも、結局その後操作ミスで消してしまったのです。それで夕方ピアノに向かってまた、子守歌をイメージしてたら思いついたので、作りはじめました(午前のモチーフは思い出せませんでしたが)。

以前読んだ『赤ちゃんは何を聞いているの?』(呉東進著/北大路書房)の中に、世界の子守歌をピックアップして調べたら、440ヘルツ(中央ドの上のラ「A」)の音が一番使われていたということが書いてありました。この音は赤ちゃんの泣き声の高さと言われていますね。胎内によく聞こえる音でもあるということです。言語や文化が違っても、人としてのベースは同じなんだと思えますね。とても興味深いことです。

私の作った曲は、シャープ6個(F♯)。調はフィーリングで決めていますが、今回はこれが合うなと思ったので。Aは全部♯してるからAはゼロですが(笑)、まあ、440ヘルツというのもそのあたりということのようです。

たまたま思いつきで検索したらおもしろい動画がありました。
42 Lullabies from Around the World - Lullaby for Babies
世界の子守歌の動画です。おもしろい! スペインは子守歌までフラメンコで、目がさめそうです(笑)
歌にはそれぞれの文化が反映されているんだなと、改めて感じます。




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2016年01月05日

音楽と共に

こんな記事がありました。「95歳の認知症おじいちゃんが受け取った、人生最高のサプライズ」
あるピアニストが認知症のために介護施設に入り、一緒に演奏する人がいなくなってしまったのですが、介護職員の協力で演奏仲間を募集したところ、80人以上のミュージシャンから「喜んで協力する」と連絡があり、セッションが実現したということです(日本ではなかなか難しい?)。

私が中学の時にピアノを習っていた大学の教授は今は介護施設に入っていらっしゃると聞きました。私はまだ会いに行けていませんが、先生は施設にピアノを寄付したにもかかわらず、弾かせてもらえないということでした。事情はわかりませんが、辛いのではと思います。

以前、友だちがケアマネージャーをしている施設に行って音楽イベントをした時、全調のハーモニカ(全部で24本のはず。たまげました!)を準備して最前列で音楽に合わせアドリブもありの演奏をされていた、元ハーモニカの先生がいらっしゃいました。

ずっと音楽と共に生きてきた人たちは、そのまま死ぬまで音楽を続けたいのだと思います。私もそれを望んでいますから!(笑)


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2016年01月03日

梅宮大社へ初詣

今日は家族3人で初詣へ行きました。梅宮(うめのみや)大社です。ここは、酒造、子宝や縁結びの他、学業、音楽芸能(!)の神様が祀られているということですが、その始まりはおよそ1300年前ということです。
近くの松尾大社の初詣に比べると人も少なく、屋台などもなく、静かでゆっくりできる感じです。四季折々の花が楽しめる神苑は、今は花は少ないですが、それでも椿、梅(早い?)、水仙、千両・万両・南天の赤い実などが見られるし、木々には春を待つまだ閉じている新しい芽がたくさんあって、自然の生命力を感じることができます。

いつもお守りは買ったり持ったりしないのですが、「音楽芸能成就」のお守りを買ってしまいました(笑)。今年もきっといいことがあるという予感がします(ポジティブです!)。

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2016年01月02日

『The Starfish Story』

少し前にカリフォルニアに旅行に行った友達が2週間ほどの間に2回も聞いたというお話を送ってくれました。『The Starfish Story』ヒトデのお話です。
じぶんなりに意訳してみました。

老人が明け方の海辺を歩いていました。見ると前方に少女が歩いています。彼女はヒトデを拾っては海へ投げ入れています。老人は少女に追いつき、そしてどうしてそんなことをしているのかたずねました。少女はヒトデがこのままここで朝日にあたれば死んでしまうからと答えました。「だけど海岸は何マイルも続いているし、何百万というヒトデがいるよ」「そんなことをしてもあまり意味がないのじゃないかな?」と老人は言いました。少女は手に持っているヒトデを見て、そっと波間に投げました。「このヒトデにとっては大切なこと
よ」


そこの土地の人たちはこの話が好きだということです。友だちも好きだと言っていました。私もとてもいい話だなと思ってブログに書こうと思いました。こちらから見れば無数にあるうちの一つ。でも逆にそれぞれにとってはたった一つの大切な命。短いながらとても感動的なお話だと思いました。勝手にこのお話に励まされた気持ちもあります。たとえわずかなことでも意味はあるはずだと。皆さんはどのように感じられるでしょうか?

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2016年01月01日

今年も楽しく弾けたらな

あけましておめでとうございます。

今日は夕方3時間ほどピアノを弾きました。作曲・編曲をイメージしながらたくさんの即興と、あとは自分の曲ばかり。珍しくクラシックはなしです。「きらきら星」の編曲も少ししました。敬愛するモーツァルトの素晴らしい変奏曲がありますが、なんとなくやってみたらおもしろいので。

結局、自分の今まで録音した曲を全部弾くには時間が足りなかった。3時間なんてあっという間です。
今年も楽しくピアノを弾けたら幸せです。

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2015年12月31日

来年に向けて

昨日と今日は出かけている時間が長くて、結局ピアノは弾けないまま今年は終わります。ピアノを弾くのは練習という側面もありますが、ただ弾きたいという気持ちが強いです。しばらくぶりに作曲、編曲もして、また次の作品も作りたいという思いがあります。弾けない間も頭の中はずっと音楽が流れています。
今年は作曲を30曲ほど、アンサンブルとソロの編曲を20曲ほど(いずれも録音してないのも含め)しました。
来年もまた作り続けられたらと思います。そして、少しでも多くの人に聴いていただきたいです。平和を願いながら。


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2015年12月20日

『ヘンゼルとグレーテル』

今日は大阪府島本町のケリヤホールで行われた歌劇『ヘンゼルとグレーテル』を観に行きました。このイベントは町制75周年記念事業ということですが、この歌劇の音楽監督と指揮のパブロ・エスカンデさんからお知らせいただきました。歌劇は英語ではオペラですが、ライプで観るのは初めてでした。「フィガロの結婚」(モーツァルト)、「セビリアの理髪師」(ロッシーニ)、「ルサルカ」(ドヴォルザーク)、「カプリッチョ」(リヒャルト・シュトラウス)などの海外公演をDVDで観たことはありますが、規模は小さくてもやはりライブはいいなと思いました。
伴奏はピアノだけで、パブロさんと奥さんの三橋桜子さんの連弾でしたが、最初から最後まで途中20分の休憩以外はずっと弾きっぱなしで、大変だろうなと思いました。
後でパブロさんに教えてもらったのですが、作曲は エンゲルベルト・フンパーディンクでクリスマス向けの作品らしいです。
最後は子供たちの合唱ですが、うるうるきました。子どもたちの歌声ってなぜか心揺さぶられます。私にとって最大の謎である「音楽はなぜ涙をさそうのか?」を今日もまたまた感じさせられました。

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2015年12月18日

かわいい子たちからプレゼント

今日、近所の乳児保育室の子どもたちからかわいいプレゼントを受け取りました。残念なことに私はちょっと近くまで出ていて夫が受け取りました。小さな子が保育士さんに付き添われて「いつも遊ばせてくれてありがとう」というようなことを言ってプレゼントを渡してくれたそうです。
うちの家は家の前の車の通る道から少し下がった位置にあり、そこから家のまん前の細い道に下りるために家を建てた時スロープを作りました。そのスロープは近所の子や保育室の子どもたちの遊び場になっています。うちの家の前はそれほど交通量も多くないので子供たちは道路で遊んでいますが、やはりスロープは変化があっておもしろいのでしょう。
保育室の子どもたちは時々保育士さんといっしょに散歩にやってきてスロープの所で遊んでいます。ハイハイしている子もいれば、よちよち歩きの子もいます。その様子は本当にかわいらしいです。
保育士さん達とも何度か言葉を交わしていて、私は児童館に行っていてこのくらいの子たちのイベントでピアノを弾いているんですよという話をしたこともあります。私がピアノをしていることは以前からご存知でしたが、児童館のことは少し驚かれていました。
プレゼントの中身は手作りクッキーでした。いっしょにこねたりしたのかな? ほのぼのした気持ちになりました。

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2015年12月14日

「ピアノに合わせてあそぼう」クリスマス編

今日は近所の児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。12月ということでクリスマスソングを何曲かとはわらべうたなどをいっしょに歌いました。クリスマスの歌は「きよしこの夜」以外は場を盛り上げるようノリノリの感じで弾いたつもり! プチコンサートはモーツァルトピアノソナタ。
児童館では様々なイベントをされていますが、ピアノの日は音楽好きなお母さんたちが来られているのでは?とうかがっています。ここは電子ピアノなのでピアノのようにはいかない部分もありますが、なんとか少しでも喜んでいただけるようにと思いが伝わる演奏を心がけています。
一度はやめようかと思った児童館のボランティアですが、「できる限り続けます」宣言しています(笑)。来年はさらに何か別のおもしろいこともきたらなと漠然と思っています。何でも思うことから始まります。イメージが自分を引っ張っていく感じです。

おとといの朝、久しぶりに曲のモチーフが浮かんだのですぐにボイスメモに歌って録音して、その日の夕方と今日の夕方で大方曲ができあがりました。日々忙しくてピアノを弾く時間は確保しても、作曲までする時間的心理的余裕がしばらくなかっただけに、今回はまたできてよかったとうれしく思っています。忙しい中でもひと時頭を切り替えて曲を作れる感じがわかったので、これからもぼちぼちできたらいいなと思います。


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2015年12月09日

サロンでイタリアンバロック

昨日の夜は、淀屋橋の大阪倶楽部で行われた、日本テレマン協会のサロンコンサートへ行ってきました。今回のタイトルは『リコーダーとバスで辿る…イタリア・バロックの系譜』というもので、このコンサートの音楽アドバイザーのパブロ・エスカンデさんからお知らせいただいていました。パブロさんは今回はずっとチェンバロでした。
出発する直前に夫の仕事の電話が長引いて、7時の開演に10分ほど遅れてしまいました。到着するとサロンの扉2か所が開け放たれホールの外のロビーに椅子が並べられていて、中に入りきれないお客さんがそこに座っていました。私たちは最後尾に椅子を用意していただいて座りました。大きなコンサートホールなどではあり得ないことですよね(笑)。でもその柔軟な感じがいいです。音がやや聞こえにくかったですが、まわりが広々していて雰囲気も良く十分快適でした。そして出演者は私たちの座っているすぐ近くで待機していて、パブロさんとも前半が終わった後とコンサート終了後すぐに話すことができました。

前回のテレマン協会のコンサートは、トルコがテーマでしたが、パブロさんの選曲や編曲はオリジナリティが感じられてとても楽しめます。昨日はヴィバルディ、コレッリ、スカルラッティの曲でしたが、リコーダーとバスが主役でほとんど知らない曲ばかりでした。

ディレクターの延原武春さんはトークがとてもおもしろく演奏者を巻き込んで笑いを誘うのですが、実はとても大事なことではと最近思います。トークが楽しいと場が和みます。演奏者も聴衆もとてもリラックスしたムードの中で音楽を楽しめる。

昨日の朝のコンサートで私もマイクを用意していただいたのですが、もっとうまくしゃべれるようになりたいなと思っています。普段知らない人でも平気で話しかけられるくらいですが、多くの人の前でしゃべる時は誰に向ってしゃべっているのかわからない妙な感覚になります。でも曲や作曲家のエピソードなど紹介して知らない曲でも興味をもっていただき、なごやかな雰囲気の中で聴いていただきたいというのが私の思いです。そのためにはトークの技術も磨かねば!(笑) 


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2015年12月08日

古い幼稚園で

今日は元明倫幼稚園で行われている「きっずぱあく」に参加してピアノを弾いてきました。私が毎月行っている児童館のイベントの担当の保育所の方々が12月はこちら担当ということで、昨年も参加させていただきました。12月なのでクリスマスの曲などの伴奏と、あとはミニコンサートです。いつもは遊びメインのようですが今日は音楽イベントです。

演奏では、モーツァルト、ラモーと自分の曲(作曲と編曲とそれぞれ)をやりました。今日は弾き始めたらあちこち連鎖的に赤ちゃんの泣き声が聞こえてきてあせりました。ああ、私泣かせてるのかな?(選曲が悪い?)それでもだんだん泣き声は少なくなって、途中からは泣いてなかった気がします。後で聞くと眠り始めた子もいたらしいです(よかった)。

自分のやっていることが子どもに適しているのかどうか、それはいつも考えることですが、子どもを連れて音楽イベントに参加したいという思いで来られているお母さんたちがいらっしゃることも間接的に聞いていますので、そういうご要望にはお応えしたい! お母さんたちがリラックスして音楽を楽しんでくださることによって、赤ちゃんや子どもたちも何かいいことなんだと感じてもらえたらという思いはあります。
また児童館や保育所の方々のご要望も強い。それにも応えたい! 結局求められることが何よりうれしいのです。

今日は私のオリジナル曲が良かったと言ってくださった方が何人かいらっしゃって、うれしかった!「伝えたい」というシンプルな思いがピアノを弾くモチベーションになっているのですから。

設計の仕事が増えていて、そちらの手伝いが忙しく、また求められると思われる付加価値に応えられるよう色々やっていて(役立つかどうか不明でも自分が価値あると思えること)、今作曲はストップしていますが、またできる時にはやろうと思っています。

夕方からは、大阪にパブロ・エスカンデさんからお知らせいただいたコンサートに行ってきました。それは、また次の記事に……。 


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2015年12月07日

美男かづら

先日、いつも買いに寄ってついつい長話になるお花と丹波のお野菜を売っているお店に行くと、ぱっと目をひく赤い実の植物(切り花)が目に入りました。前も赤い実の色々な植物のドライフラワーをいただいたり買ったりしていますが、「これ何かわかります?」と私が見ていた植物について聞かれました。「美男かづら?」と言うとやはりそうでした。
この秋何度かお花屋さんやお店のディスプレイで美男かづらの植えてあるのを見てすてきだなと思っていました。けっこう高いんですね。実が赤くならないという話も聞きました。
とにかく、気になっていた植物です。そして、またまた「あげましょうか?」と言って、赤い実のついた一本の枝を適当に切ってくださいました。ええ、そんな、うれしすぎる!
それでその時、お店の方が「美男かづら」(さねかづら)が入っている万葉集の歌を紹介してくださって、その時、万葉集の中身についてあまりしらないことに気づきました。

それで、早速図書館で別冊太陽の「万葉集入門」という本を借りました。このシリーズはけっこう写真も多くて読みやすいから好きなんです。それでぼちぼちと読んでいるのですが写真も美しいし、ちゃんと説明もあってわかりやすい。何より新鮮な驚きは、自然をめでたり、人間関係を歌ったり、短い文章の中に生き生きとした表現が感じられることです。
当然かもしれませんが、7世紀あたりの大昔の人も現代の私たちのような感覚を持っていたことが、不思議な感じがするのです。言葉として残っているからそのことがわかる。それよりもっと昔の人たちも変わらないのかもしれない。唱歌の歌詞なども自然を歌ったものがあって、昔の人は感受性が豊かで表現もすてきだなと思っていましたが、もっともっと昔の人も豊かな自然から多くのことを感じ取って、素晴らしい言葉を残している。

一つ、訳も含めて引用したいと思います。

(額田王 ぬかたのおおきみ)

冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来(き)鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入(い)りても取らず
草深(ぶか)み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみじ)をば 取りてそしのふ
青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は

(冬ごもり)春が訪れると、今まで鳴いていなかった鳥もやってきて鳴く。咲いていなかった花も咲いているけれど、山が茂っているのでわざわざ山へ入って取りもせず、草も深いので手に取って見もしない。
秋山の木の葉を見れば、黄色く色づいた葉を手に取って賞でる。まだ青い葉はそのままにして色づかないのを嘆く。そのことだけが残念なことよ。
なんといっても秋山に心が惹かれる、私は。


春に対しては淡々と、秋には思いを込めて書いている歌。わかりやすくておもしろい。

このような本もこの歳になっておもしろいと思えるのかもしれない。なんとなく見過ごしてきているものの中にまだまだおもしろいものはたくさんあるのだと思います。
好奇心と想像力がどんどん世界を広げていく。歳をとるほど加速している?(笑)

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