2015年12月09日

サロンでイタリアンバロック

昨日の夜は、淀屋橋の大阪倶楽部で行われた、日本テレマン協会のサロンコンサートへ行ってきました。今回のタイトルは『リコーダーとバスで辿る…イタリア・バロックの系譜』というもので、このコンサートの音楽アドバイザーのパブロ・エスカンデさんからお知らせいただいていました。パブロさんは今回はずっとチェンバロでした。
出発する直前に夫の仕事の電話が長引いて、7時の開演に10分ほど遅れてしまいました。到着するとサロンの扉2か所が開け放たれホールの外のロビーに椅子が並べられていて、中に入りきれないお客さんがそこに座っていました。私たちは最後尾に椅子を用意していただいて座りました。大きなコンサートホールなどではあり得ないことですよね(笑)。でもその柔軟な感じがいいです。音がやや聞こえにくかったですが、まわりが広々していて雰囲気も良く十分快適でした。そして出演者は私たちの座っているすぐ近くで待機していて、パブロさんとも前半が終わった後とコンサート終了後すぐに話すことができました。

前回のテレマン協会のコンサートは、トルコがテーマでしたが、パブロさんの選曲や編曲はオリジナリティが感じられてとても楽しめます。昨日はヴィバルディ、コレッリ、スカルラッティの曲でしたが、リコーダーとバスが主役でほとんど知らない曲ばかりでした。

ディレクターの延原武春さんはトークがとてもおもしろく演奏者を巻き込んで笑いを誘うのですが、実はとても大事なことではと最近思います。トークが楽しいと場が和みます。演奏者も聴衆もとてもリラックスしたムードの中で音楽を楽しめる。

昨日の朝のコンサートで私もマイクを用意していただいたのですが、もっとうまくしゃべれるようになりたいなと思っています。普段知らない人でも平気で話しかけられるくらいですが、多くの人の前でしゃべる時は誰に向ってしゃべっているのかわからない妙な感覚になります。でも曲や作曲家のエピソードなど紹介して知らない曲でも興味をもっていただき、なごやかな雰囲気の中で聴いていただきたいというのが私の思いです。そのためにはトークの技術も磨かねば!(笑) 


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2015年12月08日

古い幼稚園で

今日は元明倫幼稚園で行われている「きっずぱあく」に参加してピアノを弾いてきました。私が毎月行っている児童館のイベントの担当の保育所の方々が12月はこちら担当ということで、昨年も参加させていただきました。12月なのでクリスマスの曲などの伴奏と、あとはミニコンサートです。いつもは遊びメインのようですが今日は音楽イベントです。

演奏では、モーツァルト、ラモーと自分の曲(作曲と編曲とそれぞれ)をやりました。今日は弾き始めたらあちこち連鎖的に赤ちゃんの泣き声が聞こえてきてあせりました。ああ、私泣かせてるのかな?(選曲が悪い?)それでもだんだん泣き声は少なくなって、途中からは泣いてなかった気がします。後で聞くと眠り始めた子もいたらしいです(よかった)。

自分のやっていることが子どもに適しているのかどうか、それはいつも考えることですが、子どもを連れて音楽イベントに参加したいという思いで来られているお母さんたちがいらっしゃることも間接的に聞いていますので、そういうご要望にはお応えしたい! お母さんたちがリラックスして音楽を楽しんでくださることによって、赤ちゃんや子どもたちも何かいいことなんだと感じてもらえたらという思いはあります。
また児童館や保育所の方々のご要望も強い。それにも応えたい! 結局求められることが何よりうれしいのです。

今日は私のオリジナル曲が良かったと言ってくださった方が何人かいらっしゃって、うれしかった!「伝えたい」というシンプルな思いがピアノを弾くモチベーションになっているのですから。

設計の仕事が増えていて、そちらの手伝いが忙しく、また求められると思われる付加価値に応えられるよう色々やっていて(役立つかどうか不明でも自分が価値あると思えること)、今作曲はストップしていますが、またできる時にはやろうと思っています。

夕方からは、大阪にパブロ・エスカンデさんからお知らせいただいたコンサートに行ってきました。それは、また次の記事に……。 


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2015年12月07日

美男かづら

先日、いつも買いに寄ってついつい長話になるお花と丹波のお野菜を売っているお店に行くと、ぱっと目をひく赤い実の植物(切り花)が目に入りました。前も赤い実の色々な植物のドライフラワーをいただいたり買ったりしていますが、「これ何かわかります?」と私が見ていた植物について聞かれました。「美男かづら?」と言うとやはりそうでした。
この秋何度かお花屋さんやお店のディスプレイで美男かづらの植えてあるのを見てすてきだなと思っていました。けっこう高いんですね。実が赤くならないという話も聞きました。
とにかく、気になっていた植物です。そして、またまた「あげましょうか?」と言って、赤い実のついた一本の枝を適当に切ってくださいました。ええ、そんな、うれしすぎる!
それでその時、お店の方が「美男かづら」(さねかづら)が入っている万葉集の歌を紹介してくださって、その時、万葉集の中身についてあまりしらないことに気づきました。

それで、早速図書館で別冊太陽の「万葉集入門」という本を借りました。このシリーズはけっこう写真も多くて読みやすいから好きなんです。それでぼちぼちと読んでいるのですが写真も美しいし、ちゃんと説明もあってわかりやすい。何より新鮮な驚きは、自然をめでたり、人間関係を歌ったり、短い文章の中に生き生きとした表現が感じられることです。
当然かもしれませんが、7世紀あたりの大昔の人も現代の私たちのような感覚を持っていたことが、不思議な感じがするのです。言葉として残っているからそのことがわかる。それよりもっと昔の人たちも変わらないのかもしれない。唱歌の歌詞なども自然を歌ったものがあって、昔の人は感受性が豊かで表現もすてきだなと思っていましたが、もっともっと昔の人も豊かな自然から多くのことを感じ取って、素晴らしい言葉を残している。

一つ、訳も含めて引用したいと思います。

(額田王 ぬかたのおおきみ)

冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来(き)鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど 山を茂(も)み 入(い)りても取らず
草深(ぶか)み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみじ)をば 取りてそしのふ
青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は

(冬ごもり)春が訪れると、今まで鳴いていなかった鳥もやってきて鳴く。咲いていなかった花も咲いているけれど、山が茂っているのでわざわざ山へ入って取りもせず、草も深いので手に取って見もしない。
秋山の木の葉を見れば、黄色く色づいた葉を手に取って賞でる。まだ青い葉はそのままにして色づかないのを嘆く。そのことだけが残念なことよ。
なんといっても秋山に心が惹かれる、私は。


春に対しては淡々と、秋には思いを込めて書いている歌。わかりやすくておもしろい。

このような本もこの歳になっておもしろいと思えるのかもしれない。なんとなく見過ごしてきているものの中にまだまだおもしろいものはたくさんあるのだと思います。
好奇心と想像力がどんどん世界を広げていく。歳をとるほど加速している?(笑)

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2015年11月18日

水彩画展で

今日の夕方、夫と寺町のギャラリーカトで行われている淺田ようこさんの水彩画展を見に行きました。淺田ようこさんは夫の水彩画の先生です。雨が降っていましたが、ギャラリーには次々とお客さんが来て、熱心に絵に見入ったり、絵について淺田先生に質問をしていました。花の絵と外国の風景の絵が多かったですがとにかく色づかいがきれいし、明るいです。見ていると晴れやかな気持ちになってくる。絵を見ていて、まるでその場でその光景をみているような気分になりました。写真では写せない、その場の空気のようなものが表現されているからではと思ったりします。

淺田ようこさんの絵からは、見ている人を幸せな気持ちにしたいという思いが伝わってくるようです。そして見ている私たちは幸せを感じる。芸術とはそのためにあるのだと改めて思うのでした。

私も聴いている人にほんの少しでもいい気持ちになってほしいといつも願っています。

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2015年11月16日

第六感って?

第六感とは何でしょうね?
ネットで調べたらブリタニカ国際大百科事典の解説は以下の通りです。

「人間の5官 (視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚) 以外の,あるいはそれをこえる第6番目の感覚の意。また,心理学者黒田亮は,これを意識の「識」に対して「覚」と呼び,知的・芸術的活動や武道などにおいて作用するとした。」

『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』(春秋社)では、第六感とは「筋感覚」だと書いてありました(読んだ時のメモによると)。例えば手を頭の上に上げた時にその手は見えないし何にも触ってなくても、手がどこにあってどのような状態であるかわかる感覚ということだったと思います。

第六感について思うのは、例えば昨日ピアノを弾いた元彫刻家のアトリエのような場所で感じる感覚、その場に行った時に自分が感じる何かについて不思議に思うことがよくあるからです。特に古い建物、歴史のある場所、巨木、自然のようなものに向き合っている時、私が感じているのは「時間」なのかなと思ったりします。時間が作り出した何かを感じているのかな?と。そこにはそれが何十年、何百年そこにあるという事実を理屈で理解しているという部分もありますが、そこからそれが一体どういうことなのかを考えるのはイマジネーションの世界で、そういったものが合わさった感覚なのかもしれません。

第六感って結局何か? 言葉ではうまく表せないような感覚かな?

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糺の森 ここはやはり特別な感じがするのです。




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2015年11月15日

彫刻家のアトリエ

今日は修学院のアトリエ松田で行われたピティナのステップでショパンとモーツァルトを弾いてきました。このピアノのイベントは全国各地で行われていて京都でも2〜3カ月に1度ほどいくつかの会場で行われます。
ステップはこの会場だけ参加しています。ここは松田先生の、彫刻家であったおじいさんがアトリエとして作られた部屋ということですが、やはり何か特別な感じのする場所です。周囲は壁に囲まれていますが、高い所に大きな窓があって自然光がたくさん入ってくるようになっています。私はホールよりもこういう雰囲気のある場所が好きです。

初めてここで弾いたのは4年前ですが、どういう場所かあまり考えずショパンの幻想即興曲を準備していきました。アトリエに入って、あれ、これは選曲を誤ったなと思いました。もちろん、皆さん色々な曲を弾かれますが、私はここではもっとここの空間にあったしっとりした曲を弾きたいなと思い、次の年からはずいぶん選曲にはこだわっています(悩みます)。

建築空間は何かを行う場所ですが、ここは、そこに合う音楽で満たしたいという思わせてくれる所です。元々彫刻を行うために作られた場所は、別の芸術的行為を行う際にも何か感じさせてくれるのかもしれません。

弾き終わった後、ある女性が、きれいな音で感動しました、と言ってくださいました。これまでも時々そうやって直接感想を言ってくださる方がいらっしゃいましたが、その一言でまたがんばろうと思えます。それらの言葉は私の宝物です。

明日からはクリスマスのイベントに向けて、編曲にもとりかからないと。設計の方のあれこれもあるし、やること色々です(-_-;)。

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2015年11月09日

接点はモーツァルト?

今日は児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。
最後のプチコンサートでは、モーツァルトの曲と自分の曲を弾きました。プチコンサートは私が2年半前くらいに児童館のボランティア演奏を始める時に提案させてもらいました。伴奏以外に自分がソロ曲を弾きたいからお願いしたわけですが、ぜひぜひと言っていただき毎月2曲ほど、聴いていて退屈しない程度の短い曲を弾かせてもらっています。
最初の頃は、バロックのシンプルなものが多かったですが、少しずつモーツァルトやシューマンなどの小品を弾くようになりました。選曲にはそれなりに気を使っています。やはり小さなお子さん(赤ちゃんも含め)ばかりですから、なるべくやさしく穏やかな感じの曲選びをしています。

家では最近ほとんでモーツァルトとショパンばかり弾いているよう感じになっています(たまに自分の曲や気まぐれで別の作曲家の曲)。演奏料をいただくことがたまにあっても、音楽を生業としてるわけでないので基本的に弾きたいものを弾く、音楽は純粋に喜びのためにやっているので、ほとんどその時弾きたいものしか弾かないです。なのでピアノを弾いている時間は本当に心が満たされる。

それで、最近児童館で何を弾くかとなると、今日のような選曲になってくる。モーツァルトの曲(激しくないやつ)は児童館で弾くのにまあまあ適しているのではと思うし、練習する気分にもなる。弾きなれたものも何曲かある。でも実は、モーツァルトは胎教や子どもにいいという話については、本当にそうかどうかはわからないと思っています。モーツァルトの曲はシンプルに聞こえて、実は深く心を揺さぶるものがある。知らず知らず揺さぶられていたり。これは個人の感受性によって違ってくると思いますが、その点子どもは敏感である可能性もある。大人には良くても子どもにいいかわからない。
そんなことも思いながら、モーツァルトが児童館で聴いていただくのに、そして自分が弾きたいという気持ちに正直であるのにちょうどふさわしいのではと今のところ思っています。


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2015年11月04日

建物内の音環境

先日近くにオープンしたホテルに、夫と偵察に(笑)行ってきました。最近京都では増える観光客に対応するように新しいホテルも増えているように思いますが、日本らしさ、京都らしさをどの程度意識しているかが気になるところです。そのホテルは1階の道路に面した部分がカフェになっていて、そこを通り抜けても、またカフェに入らず横の通路からも奥のフロントに行けるようになっています。全面ガラス張りなので中が良く見えます。やはり普通のカフェと違ってホテルだから入りにくいのか、お客さんはほとんどいません。カフェに入って真ん中あたりのテーブルに座ってインテリアを拝見。ぱっと見は和的な要素は少ないですが、やはり所々にさりげなくデザインされているようです。
お茶を飲みながら通りを見ていると、たまに止まって中を見ている人がいます。ホテルだけどお茶だけでもいいのかな?という感じでしょうか?

BGMにクラシックのピアノ曲が流れていましたが、よくお店などで流れているボリュームよりは控えめで微妙な所で調整されている感じです。ショパンのエチュードなどもう少しボリュームが大きければ少し耳障りかもしれませんが、そんなことはありませんでした。
私は毎日自分の出す音を「聴く」という行為をしているので、音には少し敏感かもしれません。空間の雰囲気を作る要素として音楽はけっこう影響あると思っています。ジャズかクラシックでは場の雰囲気が全然違ってくる。音楽がなければ、別の物音にもっと注意がいくでしょう。

飲食店など内装の状態によって残響の強い所もわりとあります。音楽や人の声が混ざってわんわん響いているから話す際に大きな声が必要な所もある。なかなか辛いです。耳が。
建物内の音環境は私にはとても重要に感じられますが、実際一般にどこまでそのことについて考えられているかはわかりません。このホテルのBGMはGoodでした(笑)。


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2015年10月30日

スカイプでコミュニケーション

今日はスイスの友だちと3時間スカイプで話しました。もともとスカイプは苦手だったのですが(なんか不自然な感じで)、何度かやっているうちに慣れました。
いつも話題は多岐に渡りますが、今日一つおもしろかったのは、彼女がボディランゲージの講座を受けたという話です。人が話している時言葉で表しているのは70%で、残りはボディランゲージということで、それは無意識に行っていることもあり、それが何を意味しているか心理学の側面から考えるというようなことでした。

言葉は同じ言語を話している者同士でも、決して完全に伝わるわけではないですね。ちょっとしたニュアンスの違いで誤解を招くこともある。同じ言葉からイメージするものが違えば、伝えてるつもりでも伝わってなかったり。
私のたどたどしい英語では、なおさらボディランゲージの割合を増やした方がいいかもと言うと、うけていました(笑)。

音楽はストレートに届いて人の心を動かすけど、残念ながら言葉の代わりにはならない。話せば話すほど、民族や文化の違いに関わらず多くの価値観を共有できることがわかり、言語の違いというのはそうやって分かり合う際にじゃまになっているなと感じます。さらにコミュニケーションの質を高めるため、ボディランゲージも意識しつつ、英語の勉強をしたいです。



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2015年10月29日

ピアノを弾くというのは

しばらく弾いてなかった曲を、ふと弾きたいなと思った時、少し期待感があります。しばらく弾いてなかったら忘れてる所もあって、スムースに弾けないということもありますが、そんなことよりも、その間の自分の成長(歳をとるにつれ内面が成長してるはず!?)がきっと表現に反映できると思えるからです。実際、以前とは違う弾き方になっていることが多いです。それが実感できた時は、やはりうれしい。前はなんかもひとつ美しく弾けなかったけど、もしかしたらもっと美しく弾けるかもしれない。
最近ではブラームスの間奏曲を久々に弾きました。以前との違いを確かめるように弾きながら、作曲家の音楽の世界に改めて自分を反映させているような感じです。ピアノを弾くというのは、音楽を通して自分を見つめなおす行為のようにも思えます。



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2015年10月19日

世界の国から

オリジナル曲をアップしているYouTubeの私のページへのアクセスはちょこちょこですが、その中には外国からのアクセスもあります。今のところマレーシア、フィリピン、タイ、ベネズエラ、アメリカ、フランス、スイスなど色々でおもしろいです。コメントなどはありませんが、文化的背景のまるで違う人たちが、私の音楽を聴いてどう感じているのだろう?と、ものすごく知りたい気持ちです。聴いてくれてありがとうと言いたいです。

音楽に翻訳はいらないから、まっすぐそのまま聴く人の心に届くというのがいいです。インターネットがあるから日本の片隅でこっそり作っている音楽を世界に届けることも可能なんだなと思います。


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2015年10月05日

子どもと音楽

今日は近所の児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。
今日のパネルシアターの音楽は「手をたたきましょう」でしたが、手をたたく動作の時、一歳くらいの子が手を上に上げてぱちぱちと上手にならしました。他のお母さん方やスタッフ達から感動の笑いが起こりました。
遊びの中で音楽に触れ、楽しむことは子ども達の中にある何かを自発的に引き出す可能性があるのだなと改めて思います。

『フリッツ・イェーデの音楽教育』―「生」と音楽の結びつくところ(小山英恵著 京都大学学術出版社)からの引用です。

「イェーデによれば、就学前の子どもは、自ら歌い、また両親や兄弟と共に歌い、音の動きを聴き取るために沈黙する。このような就学前の子どもの音楽活動は、たとえ単純であっても創造活動に近いとする。というのも、子どもは、喜びの気持ちを歌にするからである。子どもの歌には、両親や兄弟と共に歌う喜びや安心感がそのままあらわれる。「子ども固有の世界にある幸せな生」は、歌い、演奏するきっかけであり、自身の歌を歌わせる力であるとされる。つまり、子どもの歌は、幸せな「生」の表現としての創造活動であるとイェーデは捉えているのである」

「子どもは、喜びの気持ちを歌にする」「子どもの歌は、幸せな「生」の表現としての創造活動である」とは、なんて素敵なことだろうと思います。

このイベントに来てくれている子たちが、楽しい音楽体験を経て、やがて自分で歌いだす日が来ることを想像するのはうれしいことです。


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2015年09月30日

ピアノで歌う

しばらくショパンは弾いてなかったのですが、最近ショパン気分です。ノクターンやプレリュードなどの中から何曲か弾いていますが、以前よりいっそう曲の中の歌を感じて、弾いたことのある曲をもっと「歌いたい」気持ちで弾いています。

モーツァルトもショパンも「歌う」ことが大切であると言っていた作曲家です。ショパンはモーツァルトのように自分が書いた文章をあまり残していないようで、『弟子から見たショパン』はとても貴重な資料だと思いますが、この本の中に、ピアノを使って歌うことをたびたびレッスンで言われたという弟子たちの証言があります。
少し引用します。

「ショパンが(わたしの勉強について)尋ねましたので、わたしは歌を聴くのが何より役に立ちました、と答えました:「それは結構なことです。そもそも音楽は歌であるべきなのです」と、彼は教えてくれました。ショパンの指にかかると、ピアノはほんとうに様々な歌を歌うのでした。」(匿名希望のスコットランド女性/ハデン)

「ショパンはレッスンをしているときも、「指を使って歌うのですよ!」と、いつも言っていました。」(グレッチ/クレヴィンク)

「ショパンが弾くと、フレーズはみな歌のように響きました。澄み切った音色に耳を傾けていると、音符が音節で小節が言葉となって、個々のフレーズが思想を表現しているように思われてくるのです。彼の演奏は、大言壮語のまったくない、簡潔で気品のある朗読のようなものでした。(ミクリ/コチャルスキ)

また、「(ショパンの曲を演奏するには)今弾いた音を、最後の瞬間にまで響かせて次の音につなげることです。とにかく絶対に誇張してはいけません。」(クールティ/アゲタン)

ショパンはモーツァルトを「神」と言っていたと、この本か別の本かどこかで見かけました(この本だけでも分厚くて一度見失ったらどこに書いてあったっけ?と探すのも一苦労)。
私はこの二人の作曲家に、誇張を嫌うという点や歌うことを大切にしている点など共通性を感じています。

ピアノを使って「歌うこと」は本当に楽しいことです。あとはそれが人に伝わるよう、よりよい歌をめざし続けます。



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2015年09月24日

和と洋の芸術

今日は久々に家族3人で出かけました。
まずは京都市美術館へ。『ルーブル美術館展』は次の日曜日までなので、連休が明けるのを待って行ってみると、ものすごーい人、人、人……。連休を避ければ人も少ないだろうと思った人が多すぎたのかも(笑)。チケット買うのに大行列。入ってからも大混雑。それでもほぼ全作品ちゃんと見てきました。
今回のテーマは「日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」でした。まるで写真のように写実的に描かれているものが多く、当時人々がどのような暮らしをしていたのか知るのに資料的な価値も高いのだろうなと思いました。1500年代から1800年代頃までの作品が多く、このあたりの時代に後世名を残す多くの作曲家たちも活動していたのだなと思いをはせました。

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その後一服して、美術館より少し南に歩き、何年かぶりに青蓮院へ。門の前にある大クスはやはりすごい。圧倒的な存在感です。今日は小雨が降っていましたが、庭は雨の日が美しい。緑が洗われて鮮やかな色になる。こちらの庭は室町時代につくられたと伝えられているらしい。

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美術館では何百年前に描かれて額縁に入れ大切に保管されている芸術作品を鑑賞し、青蓮院では何百年前に作られ、人が管理をする中、植物の成長や経年の変化を味わいとし変化し続ける「庭」という芸術作品を目だけでなく、耳や鼻や肌で感受しました。

同じ日に和と洋の全く違う芸術作品を味わって、ぜいたくな思いをしました。



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2015年09月23日

久々に裁縫

久々にミシンを出してきました。私の裁縫歴は妊婦の時のジャンバースカートが始まりです。その後は子供服をかなり作りました。後は小物など。裁縫は決して趣味ではなくて、必要に応じてです。なので適当ですが、布を選ぶのは楽しいし、まあまあうまくできればうれしいです。何年かに一回まとめてという感じです。
料理は家事の中で一番嫌じゃないですが、クリエィテブな要素がある方がやりがいがあるのだと思います。冷蔵庫の中が寂しい方が燃える(笑)。たくさんの時は何作ろうか迷う。
今回はまず、食事の時に使うテーブルクロスとちょっとした布の小物を縫って(超簡単に!)、まだ縫う予定のものがありますが、少しでもめんどうなものになるとだらだらと後回しになりそう。

家事やら生活にまつわる雑多なこと、夫の仕事の手伝いなどなどしつつ、ピアノの練習と創作にも何時間か時間を確保するというのが私の毎日です。

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