2015年09月19日

耳は大切

今日、近くの保育所の見える所を通りかかったらスピーカーから大きな音楽が流れていました。昨年までそこにいらっしゃったベテランの先生とは子どもと音楽や耳のことで大切なことについてよく話をしました。先生は部屋の中ではむやみにCDなどからBGMを流さないようにしているとおっしゃっていました。積み木のあたる音や小さな音が聞こえるように。

別の幼稚園でも、運動会では大音量がスピーカーから流れるので近くに住んでいる人はかなりうるさいとおっしゃっていて、中にいる子供たちはもっと大きな音を聞いているんだろうなと、残念な気持ちになりました。

3月にやらせていただいた、「子育て講演会」でも話をしたのですが、子どもは4歳くらいまでは聴覚が優位(大人は視覚8、聴覚2くらいらしい)で耳が大人よりも敏感なのですね。大人でも大切にしなければ耳はどんどん劣化していく。中川雅文氏の『耳トレ!-こちら難聴・耳鳴り外来です。』に騒音と難聴の関係について書かれています。小さいうちか大きな音にさらされていると、ただでさえ視覚優位になっていくのに、音に対してどんどん鈍くなっていくのではと危惧しています。
音には、視覚から得られない情報もたくさんあるし、耳をすませば感性も磨かれます。耳の大切さについてなかなか気づかれないのではという思いで、「子育て講演会」でとりあげてみました。

そんな話を共有できる先生が、移動されたことは残念でした。今後も機会があればまたとりあげたいテーマです。

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2015年09月16日

ホテルで演奏会

今日は中之島のリーガロイヤルホテルで行われた、アンリミテッド音楽コンクールの入賞者演奏会でオカリナの波多野智香子さんの伴奏をしてきました。
私はコンクールには出てないのだけど、伴奏者の都合がつかず1ヶ月ほど前に急きょ頼まれました。私が伴奏したのはシェドヴィルのフルートソナタ第2番の第3・第4楽章です。この作曲家は今回初めて知りました。バロック時代の人です。波多野さんはトリプルオカリナを吹かれるので3オクターブ使え、フルートと同じ曲ができるのです。これ以外には無伴奏で「さくらさくら」を演奏されました。この曲はオカリナという楽器の特性と波多野さんの演奏に、より合っている感じがします。どこか尺八を思わせるようなムードもある。オカリナはもともと日本の楽器ではないけれど、日本の曲が合う感じがします。皆さんオカリナの音色にとても感動されていました。
他は高校生のヴァイオリンが二人。力のこもった演奏を聴かせてくれました。
食事とセットということもあり、あまり緊張感もなく和やかなムードの演奏会でした。


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2015年09月14日

「ピアノに合わせてあそぼう」

今日は月一回行っている近所の児童館の「ピアノに合わせてあそぼう」の日でした。
実は6月頃、忙しいという理由でそろそろやめようと思うと児童館と保育所の担当の方々に伝えると、想像以上に残念がってくださり、また想像以上に期待していただいていることもわかりました。その後、後任の方が見つかれば代わっていただくという話になり、一応お願いできそうな方も見つかったということでしたが、それでもできればなるべく来てほしいと言っていただき、忙しいのには変わりないのですが、やめようと思った気持ちもだんだんと揺らいできて、行かなくなるのも寂しいしやはりできる限り続けようという気持ちになりました。やはり続けさせてくださいと言うと、みなさん喜んでくださいました。

毎回、児童館と保育所で選ばれた曲をこちらで簡単にアレンジしたり、時には即興でやったりと私流でやっています。そして最後にプチコンサートということで、2曲ほど弾きます。以前はクラシックの小品ばかりでしたが、最近は自分の曲を聴いていただいています。
今日も、オリジナル曲を弾いている時に、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが音楽に合わせて体をゆっくり揺すっているのが視界に見えていて、うれしかったです。
少しでも皆さんに喜んでいただけるよう、私にできる音楽を提供していければと思います。


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2015年09月05日

ちょっと近江八幡まで

今日は夫と近江八幡の銅製品のアトリエまで行ってきました。たくさんの照明器具やポスト、取っ手など様々な商品が展示されています。銅は金属ですが、とても有機的な雰囲気で温かみがあります。鉄よりもソフトな感じですね。デザインも素敵なものがたくさんあって、引き寄せられてしばらく眺めていたい魅力をたたえていました。

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道中、琵琶湖畔で休憩しましたが、湖から吹いてくる風がさわやかで気持ちよかったです。かわいいツユクサなど野草も楽しめました。

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2015年09月04日

再び『モーツァルトの手紙』を読む

だいぶ前に途中まで読んでそのままになっていた『モーツァルトの手紙』(吉田秀和編訳/講談社学術文庫)をまた最初から読み返しています。
心の「師」(弟子にすると言われてないので(笑))の言葉だと思うと、この本は本当にエキサイティングです。読んでいるとまるでモーツァルトが生き生きとそこに存在しているような気がします。本人はまさか、後世自分の手紙が本になって多くの人に読まれるとは思ってなかったでしょうね。思ったこと、感じたことがたくさん詰まっています。そして、随所に音楽に対する思いや考えも書かれていて、本当に興味深い。

前回読んだ時、気になっていた箇所がようやく出てきました。モーツァルト21歳の11月、マンハイムで書いた手紙の一部を引用します。

「今日六時に大演奏会がありました。フレンツルがヴァイオリンで協奏曲をひくのをききましたが、ぼくはとても気に入りました。パパもご存知のように、ぼくはむずかしい技巧がそんなに好きじゃありません。ところが彼はむずかしいものをひいているが、人にはそのむずかしさがわからない。自分でもすぐまねできるような気がする。これこそ本当なのです。」

モーツァルトの価値観が感じられる文章で、印象に残っていたのです。モーツァルトに関する他の本からも、モーツァルトは華美なものや誇張やこれ見よがしなものが好きでないということを感じています。それはもちろん、モーツァルトの音楽からも感じられることで、そういう所がとても好きなんです。

作家ロマン・ロランも讃美したというモーツァルトの手紙。モーツァルトを知る、貴重な資料です。引き続き読み進めます。


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2015年09月02日

音楽と……

『フリッツ・イェーデの音楽教育』(小山英恵著、京都大学学術出版社)の中に以下のように書かれています。

「イェーデは、音楽、絵画、文学、宗教、哲学、数学といった専門分野が互いに関連なく存在することを批判する。それらは人間の内面において1つであり、「その破壊は、われわれが人間であることの切断を意味する」とした。イェーデは、これが1つであることの感覚は、学校によって破壊される前の「子どもの中に無意識に生きている」ものであるとも述べている。つまり、イェーデの言う「生」には人間が本来もつ内面の全体性という意味も含まれていた。」

フリッツ・イェーデは、20世紀初頭にドイツで活躍した音楽教育実践家ですが、彼の指摘した問題点は現代の日本でもあてはまるんだろうなと思います。教科や文系・理系といったような分類は、学校システムの中で植えつけられるもので、そのために本来は色々なものが関連していることに気づきにくくなるのかもしれません。

以前ピティナの記事で読んで感動したのですが、アメリカではほとんどの総合大学に音楽学科があり、また音楽を専門に学ぶ「音大」は少ない上にそこでは音楽以外の教科に力を入れていることを知り、イェーデの言う「人間の内面において1つ」である様々なことの関連が重要であることをよく理解した上での制度なんだなと思いました。(アメリカの大学にはなぜ音楽学科があるのか?

実は私が音大受験をやめた理由のひとつが、音楽ばかりやることへの違和感(10代の感覚ですから思い違いもあったかもしれませんが)でした。私はそういうタイプだったんです。

それで今は、音楽が私を感動させるものとして、自分の表現手段として何より特別なものであるわけですが、その他のものへの興味も色々と持ち続けています。
自然や芸術や詩や美しいものからたくさんの感動を得ると、今度は自分が表現したいという意欲が芽生える感じですね。

夫の仕事を手伝って、インテリアのあれこれを考えるのも楽しいものです。この分野も私が自分の家も含め、長年積極的に関わってきたことの一つです。
音楽抜きの人生は考えられませんが(生きてる限りピアノは弾きたい!)、その他多くのものも人生を豊かにしてくれているのだと思います。

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夫の絵をたくさん飾っているギャラリー兼打ち合わせ室
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2015年08月30日

『At the end of summer 夏の終りに』

『At the end of summer 夏の終りに』という曲をYouTubeにアップしました。
夏は暑いし寝不足になったり体調管理に気をつかうというのもあって、あまり好きではないのですが、『夏の終りに』という響きにはなんとなく、過ぎゆく夏を惜しむような感じがあるなと思います。8月の終り、夏が好きな人はそのような心境になっているかもしれませんね。私もこの曲を弾いている時は、そんな気分になってる感じもします。
でもやはり、秋が待ち遠しいかな。

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2015年08月26日

『モーツァルト頌』

月曜はピアニストの内藤晃さんが久々に関西に来られたので、レッスンを受けました。昨年内藤晃さんのモーツァルトを聴いてからは、繊細で美しいモーツァルトを弾きたいという思いがより強くなっています。

今、『モーツァルト頌』(吉田秀和・高橋英郎編/白水社)という本を読んでいますが、タイトルの「頌」というのはあまり見かけない言葉だなと思って調べると、ほめたたえるという意味の言葉で「大地讃頌」の「頌」なんですね。
これが結構すごい本で、著名な作曲家、詩人、作家、哲学者、画家、音楽評論家など総勢210人の人がモーツァルトについて述べているのです。それぞれが言葉をつくしてモーツァルトのすごさを語っているのですが、感動的な文章がたくさんあって(愛あふれて涙誘うものも)、どれか引用しようと思うのですが、絞れないという感じです。私がなぜモーツァルトに惹かれるのかという理由がさらに補強されていく感じです。500ページ以上あって、じっくり全部は読めていませんが(でもかなり読みました!)、とりあえず「そうそう」と強くうなづけたもののうちのひとつを引用したいと思います。

(前半省略)
「私はモーツァルトに寄せる記念文を書き記したいと思う。―ところでこのすばらしい巨匠がそのようなものを必要とするだろうか?―彼の作品を学ぶことのできる人、あるいはそれを聴く機会だけでももてる人のすべてにとっては、たしかにそれは不要であろう。しかし、この巨匠をその全き深みにおいてとらえる人、彼の神的なハーモニーを聴くことによって、みずからの高揚と幸福を感じる人―こうした人は同時に、すでに昇天した貴重な友のことのように、彼について語り彼について語られるのを聞く欲求を感じているのではないだろうか?」(ヨハン・ペーター・リューザー/ドイツの文人、画家、音楽家)

はい、感じています(笑)。私がこの本を感動しながら読んでいるのがまさにその証。

もうひとつ短いものを。

「死の床のショパンが、友人たちに言った、「みんなで何か演奏をしてくれないか。君たちはその間私のことを考え、私は君たちの演奏をきくことにしよう!」と。
チェリストのオーギュスト・フランショームが「じゃ、君のソナタを弾こう」というと、ショパン「そりゃ、いけない。ほんとうの音楽を弾いてくれたまえ。モーツァルトの音楽を!」

まだまだご紹介したいものがあります。こんな本はやはり珍しい。


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2015年08月18日

『Greensleeves グリーンスリーヴス』

以前、オカリナとのデュオ用に編曲したものをソロ用に編曲しなおしました。
ネットで調べると『グリーンスリーヴス』は16世紀後半頃によく歌われていたイングランドの最も古い民謡ということですが、誰もがどこかで聴いたことのある曲ではないでしょうか? 何百年と歌い継がれている歌なんですね。バロックよりも古い! 作者も不詳で、もともとちゃんとした楽譜も存在しないのでしょう。メロディも楽譜によって多少違ったりする。
16世紀後半というと、音楽ではルネサンスの最後の頃。だからこの曲に教会旋法が使われていてもそれはごく自然なことだったのかもしれませんね。


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2015年08月17日

シェーンベルクの『作曲の基礎技法』より

以前パラパラと読んだアルノルト・シェーンベルクの『作曲の基礎技法』という本の中で、気になったところをメモしていました。

「器楽曲のメロディー」という項の中で
「器楽曲のメロディーの自由もまた、楽器のさまざまな技術上の限界によって制限を受ける。こうした限界は、声楽曲の限界とは性質も程度もちがうのであるが、音域についてはとくにちがう。それにもかかわらず、器楽のメロディーも、人間わざ以上の声を必要とするにしても、歌えるようにつくるの理想である。」

また、「楽段のはじめ方」という項では、ロマン・ロランの『過去の国への音楽の旅』の中のマッテゾン(ドイツの音楽理論家)の言葉の引用があります。
「音楽家がいやしくも美しいメロディーを書こうと思ったなら、テーマが「どことなく誰でもがすでに知っているようなものをもつ」ようにしなければならぬ、」

ここに書いてあったからに関わらず、どちらも意識しています。

「どことなく誰でもがすでに知っているようなもの」とは、調性であったり、カデンツであったり、ゼクエンツであったり、理論は知らなくても音楽を聴いていく中で知らず知らず誰にでも記憶されているような要素のことかなと思ったりします。無調や12音音階のような音楽では、専門家以外の人にとってはどの部分も聴いたことがないような感じと同時にとっつきにくい感じを与えるのだろうと思います。

私自身は自分の中におこってくる歌を曲にしているので、自分が鼻歌で歌える(笑)というのが基本です。ピアノだから音域は広いけれど、アクロバティックで歌えないような歌は今のところ生じてこないですね。

自分自身が弾いてて楽しく、いいなと思えて、聴く人に親しみをもっていただきたいな、という思いで取り組んでいます。



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2015年08月02日

ランチタイムコンサート

今日は茨木市の生涯学習センターきらめきのランチタイムコンサートで、オカリナKさんと演奏してきました。ランチタイム(12時から13時まで)ですが、ランチを食べながらというわけではなく、ただお昼ご飯時ということです(笑)。

コンサート会場は吹き抜けのエントランスホールで、音が良い具合に広がってなかなかいい響きでした。ここのグランドピアノは亡くなられたある方の寄贈ピアノで、状態も良く、このように生かされるのは素晴らしいことだと思います。


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2015年07月31日

『Small happening ささやかなできごと』

『Small happening ささやかなできごと』という曲を公開しました。またまた、曲の後にタイトルです。
今のところ、編曲を除き16曲を公開していますが、自分としては性格的小品集(グリーグの『抒情小曲集』やメンデルスゾーンの『無言歌集』やシューマンの小品集くらいの短い曲)のような感じをイメージしています。

伊福部昭公式ホームページの中の石丸基司さんのエッセイで、伊福部昭の弟子、芥川也寸志がタイトルは「自分の赤子の顔を見ないと命名が出来ないのだから、脱稿してからの命名する」と語ったことを紹介しています。
私は自分の子の名前をおなかの中にいる時に考えていましたが(笑)、曲に関しては芥川也寸志と同じスタイルの方がやりやすいです。でも、言葉からイメージを膨らますこともあります。

石丸さんは音楽の表現できる内容は「音楽」でしかないのだから、タイトルをつけるのは変だという考えも書かれています(前奏曲、即興曲の何番とかいうのはOKだそう)。
私も音楽で表現できるのは「音楽」なのだと思います。でも、タイトルがあってもいいじゃないのという考えです。大切なのは感動してもらえる曲かどうかということで、人間だって名前がその人のすべてを表しているわけじゃないし。

写真は京都府立図書館前にいたスズメ。同じような写真を撮ったけど、夫の一眼レフの方がかわいく写ってたのでそっちにしました。


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2015年07月27日

建築と音楽 その1

夫は建築設計をやってますから、建築と音楽についての話をたまにします。
町家の改修の仕事もあるのと、かつて私たちも町家に住んだことがあるので、古い家のあり方についてもたまに。
町家の改修に携わっている専門家は、古いものを忠実に再現することにより価値を置く人と、現代の生活によりふさわしいやり方で古いものを今に生かすという考え方の人と大きく二つにわかれるようです。
その話をしていて、バッハやモーツァルトを今のピアノで弾く場合、昔の楽器で弾いていたように弾くべきかどうかという話がたまにあるなと思い出しました。
私が知ったピアニストたちの意見は大方、今のピアノを生かして美しく演奏すべきだ、のようです。私もそう思います。


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2015年07月25日

ホームコンサート

今日は、オカリナKさんの知り合いのおうちで行われたホームコンサートで演奏させていただきました。
大きなおうちで、30人くらいは来られていたように思います。皆さんお茶を飲んだりお菓子を食べながらなごやかな雰囲気で、でも静かに鑑賞してくださいました。
アンサンブル曲のうち2曲以外とソロは自分の作・編曲の曲で。コンサート始まる前のBGMも勝手に自分の曲を静かに弾いていました(笑)。
こういうスタイルのコンサートは好きですね。
なんか作文のようなブログでした(笑)


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2015年07月10日

彼らは独学だった

坂本龍一さんの『音楽は自由にする』という本を読んでいます。自伝のような内容で、幼稚園時代から始まります。

坂本さんが大学を卒業した後、YMOを始める前、山下達郎、細野晴臣、矢野顕子と次々と知り合う中で、彼らの音楽を聴いて当然自分と同じようにクラシックベースの音楽理論を学んだ上であのような洗練された音楽を作っていると思ったら、そんな勉強はあまりしていないということで、たいそう驚いたということです。

「つまり、ぼくが系統だててつかんできた言語と、彼らが独学で得た言語というのは、ほとんど同じ言葉だったんです。勉強の仕方は違っても。だから、ぼくらは出会ったときには、もう最初から、同じ言葉でしゃべることができた。これはすごいぞと思いました。」

興味深い話で、この部分をピックアップしてみましたが、その他にもおもしろいことがたくさん書かれています。この後ますます面白そうです。


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